2018年12月04日

老いについて


40も半ばを過ぎたあたりからだろうか。街を歩いていて、偶然窓ガラスに映った自分の顔を見たとき、「誰だ? この老けた男は」とショックを受けることが次第に多くなった。あるいは、写真に写った自分の顔を見て、イメージしている姿よりずっと老化が進んでいる現実に愕然とすることも珍しくなくなった。

そして60をいくつか過ぎた今、姿形だけを見れば、れっきとした老齢の男である。そのせいか、30前後の若い女性と2人で飲みに行ったとき、人からどのように見られているのだろうかなどと、余計なことを気にするようになった。

こんなはずではない。仕事は今もバリバリこなしているし、能力・知力の衰えを感じたこともない。体力は多少減退したが、それでも前をチンタラ歩いている人をスイスイ抜きながら歩いている。それにもかかわらず、見た目は老人。こんな理不尽なことがあるだろうか。

「人は見た目が9割」という、容赦のない言葉がある。若い人だけでなく老人もまた、というより老人こそ、自分の見た目に「こんなはずではない」と戸惑っている人が多いはずだ。若いころ、老人というのは、身体も心も老成している人だと思っていたが、いざ自分が歳をとってみると、身体は老いても心は未だに壮年のままというのが現実であることを思い知らされている。
現役を引退した人が、サミュエル・ウルマンの「若さとは、精神のあり方で、肉体的な年齢ではない」という詩をよく引用するが、これなど、自らの肉体の老いを強く意識していることの裏返しであろう。もし将来、老化を食い止め、若返りを可能にする遺伝子治療が実現したら、真っ先に病院に駆けつけるのはこの詩の信奉者ではないかと、秘かに思っている。

歳をとれば、誰しも歯が抜け、髪が抜け、目がかすみ、皮膚には皺とシミが広がる。程度の差はあれ、これはいかんともしがたい。そのとき、自らの老いつつある身体をどのようにして受け入れるか。他人にはどうでもいいことだが、本人にとっては大問題である。超高齢化時代を迎え、何百万人もの人がそんな思いを抱えながら生きていることを考えると、長生きすることが本当に幸せなのだろうかと、考え込まざるを得ない。


posted by ギャンブラー at 23:34| Comment(2) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
健康診断で健康年齢が実年齢より8歳若いと告げられいい気になっていた矢先、地下鉄で若者から席を譲られ愕然としました。普段から老人に気兼ねして電車で座ったことがないのに、その自分が老人認定を下されたわけです(笑。日本だったら老人だらけなのであり得ませんが、海外での出来事だったので多少の気休めもありますね。
それにしても、近頃周囲の人たちが妙に親切に感じるのは、やはり年をとったせいなのでしょうか?
Posted by ato at 2018年12月06日 23:48
私はまだ電車で席を譲られた経験はありませんが、いつかその時が来ると覚悟しておいたほうがよさそうですね。とは言うものの、今の日本で老人や妊婦に席を譲っている若者は皆無に近いですから、そんな心配は無用かもしれません。
それより、健康年齢が実年齢より8歳も若いとは・・・。羨ましい限りです。これからは、カネよりは健康ですね。
ちなみに、私は今もゆるーい糖質制限を続けていますが、結構効果があると思っております。一方、周囲が親切な人ばかりかというと・・・(笑)。ま、こればかりは私の器量の問題でしょう。
Posted by ギャンブラー at 2018年12月07日 20:13
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