2019年03月30日

春だったね



冷たい空気の中にも万物の芽吹きを感じるこの季節になると、この曲が聞きたくなる。毎年聞いても、何度聞いても、聞き飽きることがない。はるか昔に過ぎ去った青春時代への感傷であることはもちろんわかっている。わかっていて、それでも聞きたくなる。歌詞は以下の通りである。

僕を忘れた頃に
君を忘れられない
そんな僕の手紙がつく
くもりガラスの窓をたたいて
君の時計をとめてみたい
あゝ僕の時計はあの時のまま
風に吹きあげられたほこりの中
二人の声も消えてしまった
あゝあれは春だったね

僕が思い出になる頃に
君を思い出にできない
そんな僕の手紙がつく
風に揺れるタンポポをそえて
君の涙をふいてあげたい
あゝ僕の涙はあの時のまま
広い河原の土手の上を
ふり返りながら走った
あゝあれは春だったね

ここには、平成J-POPの定番である「桜舞い散る」や「きっと」「ずっと」などという、耳に心地よいけれど空疎な言葉はない。それどころか、「風に吹きあげられたほこり」だったり、「河原の土手の上」という、なんとも無粋な言葉が平然と並んでいる。しかし、そのふてぶてしいような野性味が、平成のお子ちゃま向けの歌にはない昭和=拓郎の歌の生命力であり、魅力である。

……とまあ、そんなに力み返らなくてもいいか。こんな歌を聞いて大人になった世代であることに感謝しつつ、もう一度聞こう。

posted by ギャンブラー at 23:39| Comment(2) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
平成が終わろうとしているのに、結局平成という時代になじめませんでした。機嫌良く酔っ払った時に出てくるのは、たいてい昭和の唄ばかり。自分の場合この時期は、よく「なごり雪」を口ずさんでます。風ではなくて、雪のうたですね。
Posted by ato at 2019年04月01日 20:03
atoさん。
もし1945年8月15日に昭和天皇が戦争の総責任者としての責任をとって退位し、翌16日から元号が「平成」になっていたら、戦争を終わりにして「平ラカニ成ル」というメッセージを内外に発信することができ、なかなかいい元号になったのではないかと思うんですけどね。「昭和」が無意味に長引いたため、「平成」の存在感が薄まったのではないでしょうか。
「令和」は、そもそもどういう意味が込められているのかわからず、ピンときません。もてはやしている連中は、どれもこれも商売がらみですし。「令和」の歌なんて、もっと興味がありませんけどね(笑)。
Posted by ギャンブラー at 2019年04月01日 23:27
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