2014年12月21日

灯り

金曜の夜は、若い社員3人を誘ってフグを食べにいった。今年、彼らにはずいぶん頑張ってもらったが、その割にはたいして報いてやれなかったという忸怩たる思いがある。せめておいしいフグでも食べさせてやろうと思ったのである。
刺身、唐揚げ、鍋、白子焼き、きも和え……いずれも絶品で、さすが天然ものの味である。いろいろ言いたいことはあるだろうに、「美味しい、美味しい」とはしゃぎながら食べ、飲む彼らを見ていると、暗く沈んだ心の底に、ポッと灯りがともったような気がした。

「ギャンブラーさん、還暦のお誕生日のプレゼントは赤いチャンチャンコでいいですよね」

それだけは勘弁してくれ、と笑いつつ、年の瀬の街を若者と一緒に歩く。
今年は、案外いい1年だったのかもしれない。


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2014年11月29日

本棚の姿


最近は電子書籍で本を読むのが習慣になってしまって、紙の本にはあまり縁がない。最近買った紙の本と言えば、電子書籍化されていない新刊本か、電子ブックで見るのに適さない写真集や雑誌くらい。だから、書棚の本はここ2年ほどほとんど増えていない。

それでも、料理や食に関する本はなぜか紙で読みたくなるから不思議だ。ときどき本をレシピ代わりにして料理をするからかもしれない。そんな料理本の本棚は写真の通り。これ以外に、料理雑誌や大判の料理本があるが、その多くは引っ越しのたびに整理してしまった。
この中で、年に一度は読み返す本といえば、檀一雄の『檀流クッキング』、玉村豊男の『健全なる美食』、池波正太郎の『ル・パスタン』だろうか。どれも深い滋味があって、読み飽きるということがない。
本棚を見れば、その人物のすべてがわかる。そんなことを言った人がいたが、案外、正鵠を得ているかもしれない。

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2014年11月22日

1本の電話


会社で仕事をしていると、1日に5件は勧誘の電話がかかってくる。保険はすでにいくつも入っているし、投資話もすでに投信にズッポシはまっている身としては、セールストークを上の空で聞いて、切りのいいところで強引に受話器を置くことにしている。あまりに電話が多い時は居留守も使うが、電話を取った若い社員に嘘を言わせるのは本意ではないので、なるべく出るようにしているが、実に鬱陶しい。

先週の金曜日にも、そんな電話がかかってきた。電話を取った部下に社名を確認し、お客や取引先でないことを把握した上で受話器を取ると、若い男がまるで知り合いのように話しかけてきた。「なるほど。知り合いのように話せば電話を切られることもないと考えた新手のセールストークか」とうんざりしながら、いつ切ろうかとタイミングを計っていた。そんなことは知らずに、相手の男は相変わらず親しげに話をしている。このあたりで、私に疑心が生じた。ひょっとして知っている人か? いやいや、聞いたことのない社名だし、声にも聞き覚えがないから、知り合いではない。それでも万一を考えて、少し相手のトークに耳を傾けると、どうやらセールスではなく、私に礼を述べているらしい。しかし、どう考えても相手が誰だかわからない。それからいくつかのやりとりがあり、ようやく電話の目的が判明した。

どうやら彼は、3年ほど前に我が社にセールスに訪れ、ちょうど出かけるところだった私が応対したらしい。名刺だけ交換して一緒にエレベーターに乗り込んだ私は、彼に次のように言ったという。

「新入社員の飛び込みセールスか。私も若い時に1年ほどやったことがあるけど、大変だよね。腐らずに頑張れよ」

ビルの前で別れてそれっきりになったが、彼は私の言葉がとても印象に残ったようで、私の名刺に日付と励ましの内容をメモしたそうである。

「あの時は本当にうれしかったし、励みになりました。お陰様で今度、香港勤務になりました。日本を発つ前にぜひお礼を言いたくて…」

と、彼は感極まったように話した。ところが私はというと、そのことを全く覚えていない。そう言われれば、そんなことがあったようななかったような、となんとも心許ない。
結局、中途半端なまま会話は終わり、彼はもう一度「ありがとうございました」と言って電話を切った。受話器を置いてから、もう少しましな応対の仕方があったよな、せめて餞の言葉をかけてあげたかったな、と思っても後の祭りである。それからしばらくの間、私の心は落ち着きを失ったまま宙をさまよった。

仕事をしていると、思うようにいかないことやイライラすることが次から次へと立ち現れる。そんな毎日に心はささくれ立ち、知らず知らずのうちに険しい顔つきをしている自分に気づくことがある。しかし、懸命に仕事をしている若い人に、思いやりの言葉一つかけてあげる余裕までなくしてしまってどうするんだ、お前。
そう思って3年前を振り返ると、私は今よりもっと苦しい状況に身を置いていた。それでも、ゆきずりの若者に、たとえ上辺だけでも励ましの言葉をかけてあげた当時の自分を、少しだけ誉めたい気がした。


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2014年11月02日

古いモノたち


私はあまりモノにこだわらないたちで、特に大きな問題がなければ、ずっと使い続ける傾向にある。自分の気に入ったモノ、主義主張に合致したモノしか身辺に置かず、周囲を「自分色」に染める人がいて、それはそれで筋の通った生き方だと思うが、私の場合は、はっきりとした害やデメリットがある場合を除いて、あまりモノに頓着しない。

そんな私が、30年来使い続けているものがある。こだわりではない。特に不便を感じないし、何より壊れないから使い続けているだけだ。その一つが、羽根布団である。30か31の時だったと思うが、ベッドを買おうと家具店に行った際、店員に勧められるまま10万円の羽根布団を買ったのである。ベッドと合わせて15万円以上したと思う。当時の私はあまり貯金もなくて、たかが掛け布団1枚に10万円もかける余裕はなかったはずだが、大病をした直後だったので、健康(睡眠)はカネに代えられないと思ったのだろう。店員から「一生物ですよ」と言われたことを覚えているが、その言に嘘はなかったことになる。高級羽根布団だけあって、その断熱性能は素晴らしく、30年たった今も真冬でも掛け布団1枚で十分暖かい。ちなみに、そのとき一緒に買ったベッドも使い続けている。

電子レンジも、25年ほど前に買ったものを使っている。当時の私はギャンブルがウケに入っていて、毎週財布はお札でパンパン、宝くじを買えばポンと50万円が当たるといった具合。その頃、女友だちに勧められて買ったのがこのオーブンレンジである。電気炊飯器と合わせて結構な値段がしたと思うが、当時の私には何ほどのこともなかった。
最近になって、電子レンジも進化しただろうと思って買い替えたのだが、全くの期待外れ。食品を温めたり焼いたりする機能も消費電力もさほど変わりがない。そのため、新婚直後の部下にその新品レンジをプレゼントして、私は年季の入ったレンジを使い続けることにした。この間、ただの一度も壊れたことがない。残念ながら電気炊飯器は、20年目にして水で丸洗いしたらうんともすんとも言わなくなったので買い替えたのだが、もしそんな無茶なことをしなかったら今も使い続けているに違いない。

他に昔のものはないかと探したら、あった。私が20歳前後、つまり40年ほど前に買ったVANとJUNのセーターである。ざっくりとしたオフホワイトのフィッシャーマンズセーターと暖かげなノルディックセーターで、よほど良いウールを使っているのか、今着ても全く違和感がない。もっとも、この厚手のセーターを着るほど今の冬は寒くないので、もっぱらタンスの肥やしになっている。

こう見てくると、昔のものはすべて国内生産か高級舶来品で、めったに壊れないし劣化しない。何より手抜きというものが感じられない。それに引き替え、今の製品はほとんどが人件費の低い外国産で、価格は安いがよく壊れるし、デザインも含めてどこか安っぽく感じられる。何より、値段が安くなった分、大事に使おうとか、信頼して長く使おうという気持ちが薄くなったように思う。

ここ数年、私の部屋にもネット通販で買った電化製品や小物が増えつつあるが、このうち10年後も大事に使っているものがどれだけあるだろうかと考えると、急に今の暮らしが色褪せて見えた。


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2014年10月19日

気が晴れない

仕事は問題山積。株は大幅下落。公私とも良いことなんか一つもない。それに追い討ちをかけるように競馬は外れっぱなし。「あ〜嫌だ嫌だ」とぼやきながら、それでも生きていかなければならない。

こんなときはパーとカネを使うに限ると、金曜の夜は若手社員を誘って居酒屋に。「何でも頼んでいいよ」と言いつつ、自分はウーロン茶で通す。なんだかなぁ。
翌朝起きても気が晴れない。買い物でもして気分転換しようと、自転車に乗って新大橋を渡ったところにある成城石井に行く。関西にお住まいの方には馴染みがないだろうが、ま、こじゃれたスーパーマーケットですね。一般のスーパーに比べて小規模で値段が高い。しかし、品揃えがユニークで、特にワインをはじめとする酒類が豊富。生ハムなどの輸入食材もたくさん並んでいる。
この日の目当てはコーヒー豆。ネットで取り寄せる豆より品質が良い、ように思う。で、「ニカラグアのカサブランカ農園産」とかいう豆を200gほど、あとはちょっと変わったサラミやらナンやら輸入タコスやらを購入して帰途につく。
それでも気が晴れないので、別のスーパーで買ってきた大きなサツマイモを輪切りにして蒸し上げ、ベランダで干し芋をつくる。
それでも気が……これでは切りがない。秋晴れの空を見上げながら、何かいい気晴らしはないものだろうかとぼやき続けている。


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2014年09月28日

川辺にて

すっかり秋になった。
夏の間、休日の昼下がりになると近くの公園によく出かけたものだが、最近は、新大橋を渡った日本橋側の隅田川テラスで、ただ川面を眺めるのが習慣となっている。以前、このあたりの遊歩道には、赤銅色の自由人、つまりはホームレスたちがブルーの色の庵を結んでいたが、いつの間にか撤去され、今ではジョギングに勤しむ老若男女が行き交っている。

はるか昔、ここから目と鼻の先に芭蕉庵があった。目の前を滔々と流れゆく隅田川を見ていると、「いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず……」と心境を吐露した芭蕉の気持ちがわかるような気がする。また、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」と記した鴨長明の慨嘆も自然と腑に落ちる。

ベンチに座り、そんなことを思いながらぼうっとしていると、目前を次々と船がゆき過ぎる。のどかで平和な光景を前に、いつ、何が起きるかわからない人の世を思う。
まずはこの身の幸せを感謝せずばなるまい。


隅田川テラスの入口にはこんな地図が各所に設置されている
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両国・浅草方面を望む
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いろいろな姿・形の船が行き過ぎる
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2014年08月31日

半世紀が経った


いささか旧聞に属するが、夏の甲子園で私の郷里である三重県代表の三重高校が決勝に進出し、惜敗して準優勝となった。同校は夏の大会はベスト8が最高だそうだが、春の選抜大会では優勝している。そのとき私は中学生で、野球部に属していたこともあり、当時のことは鮮明に覚えている。エースの上西投手は、われわれ野球部員のヒーローであって、その1球1球をテレビの前で息を詰めて見ていた記憶がある。
あれから半世紀が経った。「経った」というより「経ってしまった」と言ったほうがより実感に近いかもしれない。中学生の頃までまっすぐに伸びていた人生という名の線は、その後、蛇行したり、もつれたり、消えそうになりながら、なんとか途切れることなく現在まで続いてきた。よくぞここまで……と思わざるを得ない。よく婦女子が「自分へのご褒美に」などと言うが、私も奮発して、自分自身に褒美をあげてもいいのかな、などと思っている。

そういう思いとは別に、高校野球を見ていて、あれは一種の虐待ではないかと思うようになった。酷暑の中での連投に次ぐ連投があたり前、という現状は明らかに異常である。折しも今日の新聞には、軟式野球で延長45回になっても決着がつかず、両校の投手は3日間でそれぞれ600球以上も投げたと報じられている。彼らはおそらく今日も投げるのだろう。そういう自殺行為を大人たちが止めない、ということが私には信じられない。
硬式であれ軟式であれ、全国大会に出場するような投手はたぐい稀な能力を持っている。それを二十歳前につぶしてしまうのは、野球界にとって計り知れない損失ではないか。事実、「十年に一人の逸材」と騒がれながら故障で消えてしまった選手は数多い。松坂やダルビッシュ、田中など日本の誇る投手も、これからという時にみんな故障してしまった。すべて投げすぎが原因かどうかはわからないが、日本の投手が、体のできていない十代の頃から肩や肘を壊すほど投げてきたことは間違いない。もうそろそろこんな悪しき風習はやめるべきだろう。タイブレーク制などという変なルールを導入するより、予選も含めて、投手は1日投げたら中2日間はマウンドに立てないというルールをつくったらどうか。甲子園に出るような高校には投手が何人もいるのだから、不可能ではないはずだ。

今朝の東京は、涼しいというよりは肌寒い。少し前まで続いていた猛暑が嘘のようである。こうして季節は巡り、人はどんどん歳をとっていく。これまで続いてきた人生という名の線は、これからどこに向かい、どんな終末を迎えるのだろうか。


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2014年08月02日

ああ、夏休み

梅雨が明け、朝から盛夏の日射しが照りつける時期になると、何もかも放り出して遠くに出かけたくなる。こうはしていられない、という気になる。ではどこに行きたいのか、心の内に問いかけてみても答えは返ってこない。

例えばこの1ヵ月、岐阜、静岡、大阪に出かけた。仕事ではあるが、行き帰りの道中はもちろん、現地の街や自然の中に身を置くと、それなりに旅の感覚を味わえる。それはそうなのだが、これだけいろんな土地に出かけても、「どこか遠くに行きたい」という欲求は少しも満たされない。どうやら、私にとって「遠く」とは、「距離」ではなく「時間」であることに思いあたった。時間といっても、未来ではなく過去。遠い昔の夏の日への憧憬が、還暦間近の男を気恥ずかしいほどのロマンティストにするらしい。

額にチクチクする麦わら帽子、真っ白なランニングシャツ、トンボを捕るタモ、手作りの竹の釣り竿、肌色のゴム製の水中メガネ、掌の中でピクピク跳ね踊る若鮎、開け放した部屋を悠々と通り過ぎるオニヤンマ……そんなものたちと無縁の生活を送るようになって、いったい何年たつのだろう。その間に私は何を喪い、何を得たのだろう。

そんなとりとめのないことを考えながら、いつも出かける公園の芝生の上に寝転がっていると、はるか上空を雲がゆっくりと流れていく。その青い空と真っ白な雲だけは今も昔も変わらない。「ああ、これがオレの夏休みだ」と思ったら、少し心が落ち着いた。

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2014年07月06日

衝動買い

私は普段あまり買い物というものをしたことがない。日々の食料品は買わざるを得ないが、衣服などはときどきネットで買うくらい。本来なら、有楽町の高級百貨店にでも行って小洒落たものを取り揃えればいいのだろうが、店員さんが寄ってきてあれこれ干渉されるのが苦手で、気配を感じるとそそくさと売場をあとにしてしまう。これではゆっくり買い物などできるものではない。

そんな私でも、無性に買い物をしたくなることがある。だいたい仕事でとても忙しかったり、嫌なこと、心配事が重なってストレスが溜まりに溜まったときが多いようである。買い物と言っても、私の場合はかなり特殊で、小ぶりの高級グラスか将棋駒、それに万年筆くらいである。このうちグラスは酒を飲まなくなって買うことがなくなった。将棋駒も目が肥えてきて、どうせ買うなら盛上駒しか興味はない。しかも、行きつけの銀座のお店がなくなって以来足が遠のいているし、そもそも数十万円もするものにおいそれと手を出すわけにはいかない。

残ったのは万年筆。とはいえすでに数本持っているので、何でもいいというものでもない。また、万年筆は私にとって商売道具でもあるので、値段よりは書き味が優先される。事実、かなり高価な万年筆も持っているのに、日常的に使っているのは1本1000円もしないシェーファーの「ノンナンセンス」という普及品である。現在では廃番になっているが、昔、日本橋の丸善で買ったものを仕事でずっと使い続けている。私にとってはかけがえのない1本で、これを書きつぶしてしまったらどうしようと思っていたところ、ネットで「これは……」という万年筆を見つけたので、衝動的に買ってしまった。やはりシェーファーの万年筆で、スタイリッシュで機能的なデザインに引きつけられた。ペン先も、金ではなくステンレスというのも「ノンナンセンス」と同じで気に入った。値段は「ノンナンセンス」の10倍はするが、いかにも高級万年筆でございというほどの品ではない。私にはそれで十分である。来週には手許に届く予定で、今からかなり楽しみ。

これで心が晴れるわけではないが、今の空模様のように、厚い雲の隙間から一瞬陽光がこぼれるくらいの効果はありそうである。


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2014年06月29日

梅雨時の休日

今年も梅干を漬けた。南高梅を3キロ、塩分濃度は15%。これ以上塩を少なくすると、保存性に自信がない。一週間ほどで水が上がってきて、容器のフタを取ると清冽で濃厚な梅の香が部屋に立ちこめる。来週あたり赤紫蘇を買ってきて加えれば、あとは梅雨明けを待つばかりである。

ベランダではバジルと赤唐辛子が順調に育っている。バジルは先週、最初のペーストをつくった。むせるような緑の芳香を胸一杯に吸い込むと、今年も夏が来たなぁと、そこはかとない幸せを感じる。

先ほど水換えをした水槽では、魚たちが気持ち良さそうに泳いでいる。
梅雨時の休日。その過ごし方としては上々ではないか。そう自らに言い聞かせている。



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2014年06月07日

雨の休日


雨の休日、というのも悪くはない。どうせなら雨音が聞こえるくらいしっかりと降ってもらいたいものだが、今日はまさにそんな一日だった。こんな日の朝は、淹れたてのコーヒーでも飲みながら、ベランダに出て雨に打たれる街並をぼんやりと眺めるのがいい。とはいえ、それだけでは間が持たない。何気なく新聞のテレビ欄を見ると、おあつらえ向きに朝から面白いイベントが放映されていた。朝からテレビか…。ま、たまにはそれも悪くはあるまい。

まず見たのが、W杯を直前に控えた日本チームの国際親善試合である。5分おきに目を覆いたくなるような凡ミスをしていたが、それでも4点取って負け試合をひっくり返すのだから、日本も強くなったものだ。以前は、これが同じスポーツかと思うくらい、サッカー先進国とのレベル差があったが、今では、少なくとも同じスポーツをしていると感じられるくらいには進歩した。このままいけば、あと10年か20年で世界のトップ10入りができるのではあるまいか。
肝心のW杯だが、評論家のもっともらしい指摘を待つまでもなく、ディフェンスの破綻を最小限に済ませられれば決勝トーナメントに進出できるのではないか。だが、そんなに勝負の世界は甘くない。冷静に見て、かなり高い確率で日本のディフェンス陣は崩壊するだろう。攻撃陣に比べて、ディフェンス陣に世界レベルのタレントがいないからである。

夜はAKB48の選抜総選挙を見た。国政を完全にパロディ化したこのイベントを、二十歳前後の女の子たちが真剣に演じている姿を見て、硬派で鳴るオヤジ評論家や文化人がAKBを熱く語るわけが何となくわかる気がした。それにしても、秋元さんなのかその背後に隠れた知恵者がいるのか知らないが、「AKB48」というビジネスモデルをよくぞここまで進化させたものだ。また、その駒に過ぎないと思っていた女の子たちの、意外なしたたかさや、歳に似合わないしっかりとしたメッセージ発信力には正直感心させられた。この分野では、日本にはタレントがふんだんに存在するようである。
ちなみに、彼女たちの名前を見ていたら、「子」がつくのは80人中わずか4人か5人だった。時代だなぁ。

日付が変わろうとしているのに、まだ雨は降り続いている。こんな休日があってもいい、と思わせてくれる一日だった。


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2014年05月18日

夢の渓流


熟年男子の趣味はコーヒーだけではない。熱帯魚も依然として健在である。魚の種類や水槽のレイアウトで自慢できるようなものは何もないが、唯一、飼い始めてこの方、1匹も死なずにいることは誇っていいのではなかろうか。
冷凍赤虫を1日に1回与え、1週間か10日ごとに水換えをするくらいで、特に手をかけているわけではない。水槽の掃除など、結構手荒に行うこともある。それでも何の問題もなく元気にスイスイ泳いでいるのだから、よほど環境が合っているのだろう。

本当は、私が好きなのは熱帯魚ではなく、渓流に住む魚たちである。部屋を一周するチューブ状の水槽を特注し、水流発生器を取り付けて水を循環させ、途中に瀬や淵をつくる。そこにオイカワやハヤ、若鮎、ヨシノボリ、川エビなどを放てば、故郷の渓流がそっくり再現できるはずだ。そうなれば、おそらく一日中水槽に張りついて見惚れているだろう。もちろん現実的にそんなことは不可能で、あくまで私の頭の中だけにある渓流だが、それをイメージするだけで心が安らぐのである。
できればそこでスイスイ泳ぐ魚の一匹になりたい。そう考える私は、よほど現実に嫌気がさし、疲れているのだろう。

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プリステラとラミーノーズ

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コリドラスは3種類いる

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ヤマトヌマエビも健在


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2014年03月23日

心惑う

このひと月あまり、仕事で嫌なこと、腹の立つこと、苦しいことが立て続けに起き、今も継続中である。そのほとんどは、突き詰めればカネの話である。仕事をしている限り、この手の鬱陶しさから無縁になれないことは重々わかっているつもりだが、わかっているからといって鬱陶しさが去ってくれるわけではない。結局、楽になるためには、自分一人で問題に立ち向かうしか選択肢はないのだが、一つ問題を解決すればまた問題が立ち現れる。これでは切りがない。もう勘弁してくれ、と叫びたくなる。

こんなとき私は、読書に没頭するか、料理をする。それでも気が晴れないときは、近くの公園に行く。この3連休も、もろもろの用事を片付けたあと、近くの清澄庭園に出かけた。入場料150円也。空気はまだ冷たいが、抜けるような青空である。しかもこの庭園はいつも人が少ない。ちょうど梅と寒緋桜が満開で、久しぶりにゆっくりと花見をすることができた。

池では、鴨が気持ちよさそうに水浴びをし、亀が甲羅干しをしていた。詰まるところ、人生の愉悦はこれに尽きるのではないか。やはりリタイアは早いに越したことはない。そう思いつつ帰途についたのだが、はたしてこれが求めていた答えなのだろうか……。
季節が巡るのがうれしいような、憂鬱なような、心惑う春の彼岸である。

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清澄庭園全景

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青空に梅が映える

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寒緋桜も今が満開

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鴨も気持ち良さそう


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2014年03月21日

S氏に捧ぐ

北の街ではもう
悲しみを暖炉で燃やしはじめてるらしい
理由(わけ)のわからないことで
悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を
ひろい集めて暖めあおう
襟裳の春は何もない春です

君は二杯めだよね
コーヒーカップに角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまったわずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた夏の匂い
想い出して懐かしいね
襟裳の春は何もない春です

日々の暮らしは いやでもやってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら話すなんて
ああ おくびょうなんだよね
襟裳の春は何もない春です

寒い友だちが訪ねてきたよ
遠慮はいらないから暖まってゆきなよ


(「襟裳岬」作詞:岡本おさみ 作曲:吉田拓郎)



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2014年03月17日

心が弱い

私はこれまで、「他人(ひと)の期待を裏切らないこと」を人生の指針として生きてきたように思う。仕事では顧客の期待、上司の期待、同僚・部下の期待、私生活でも、友人の期待・要望に添うことを常に心掛けてきた。自分の都合や思いは二の次にして、目の前の仕事や友人からの頼まれ事をきっちり遂行する。期待に応えられなくて相手のがっかりする顔など見たくもない。自分で言うのもおこがましいが、生真面目な人間ということだろう。
もちろん、それらすべてに応えられるわけではない。期待に応えるための能力がそもそも不足していたというケースもある。事実、結婚して家庭を築くという親の期待は完全に裏切った。それでも、自分に求められることは何とかこなそうと努力してきたことは間違いない。

そういうタイプの人間は、他人にも同じことを求めがちになる。私もそうだ。こういう考え方をしてほしい、こんな行動をとってほしい、これだけは守ってほしいと期待し、それが裏切られると心底がっかりする。
残念なことに、世の中には、我欲を満たすために平然と法律・ルールを破る人、自分の責任をしっかり果たそうとしない人、何事につけだらしない人が少なからずいる。私の身近にもいる。「なぜそんなデタラメができるんだ」「なんていい加減なんだ」−−面と向かってそうなじることはめったにないが、心の中ではいつもそう言って責め立てる。最近はそんな自分が嫌になって、「しょせん人間なんて無責任で、いい加減なものだ」と思うようにしているが、それでも心は痛手を受ける。

そろそろそんな日々に疲れてきた。「やってられねぇや」とつぶやく回数が増えてきた。昨今、リタイヤ後の生活を考えたり、終の住処を探そうとしたりするのも、そうした現実への失望に対する反動だろう。
誰からも期待されず、誰に期待することもない。朝ベッドで目を覚ましたとき、失望や憂いを一切感じることなく、大きな伸びをしてもうひと眠りしたい。そう願う私は、単に心が弱いだけなのだろうか。


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2014年02月22日

再度やり直し

今日、マンション購入予定地の一つである熱海に行って、物件を見学してきた。そもそもなぜ熱海なのか? これといったこだわりはないが、地方都市なのでマンション価格が安く、新幹線に乗れば40〜50分で東京と結ばれる点に惹かれた。仕事の拠点は東京に置き、週末だけ地方都市のマンションでのんびり過ごす。そしてリタイア後はそこに定住する……そんな目論見を抱いていたのである。
熱海にはこれまで仕事で二、三度しか行ったことがなく、旬の過ぎた温泉街、もしくは気候が温暖な所というイメージしかない。観光ではなく「住む」という視点で見たらどんな街なのか、この目で確かめようと思ったのだ。

事前にネットで調べてアタリをつけておいた物件を見せてもらったのだが、その中にこれは!という中古マンションがあった。12階建ての11階、角部屋で、南向きのベランダからは相模湾の大海原が広がっている。これ以上はないという絶景である。駅から徒歩7〜8分の好立地で、部屋の広さは70平米。私一人で住むには十分すぎる広さである。しかもリゾート地のマンションらしく階下には24時間営業の温泉大浴場とアスレチックジムがついている。
これで価格はびっくりするほど安く、都心の半値以下。海が好きで温泉好きの人なら即決、という好物件である。不動産会社の担当者も、「これほど条件の良い物件はめったに出ません。自信を持ってお勧めします」と言う。彼らの常套句ではあるものの、必ずしも大げさな物言いではないと思われた。

一方、熱海の街はどうか。これがいけません。まず、ほとんど平坦地がない。ご存知の方もいるだろうが、駅を出た途端、海に向かって下り坂となっていて、逆に背後は急峻な山。その狭い土地に土産物屋などの商店が蝟集している。坂道ばかりなので、自転車に乗る人など皆無。「そもそも市内に自転車屋さんがありません」と不動産会社の営業マンが笑っていた。しかもスーパーマーケットは市街にたった1軒しかなく、当該のマンションからは歩いて20〜30分もかかる。これでは不便極まりない。やはり熱海は、住むよりは二、三泊湯治に来てすぐ帰る街のようだ。

地方都市にマンションを購入するにあたって、私の唯一にして最大の尺度は、「週末に帰りたくなる、ワクワクするような所かどうか」ということに尽きる。その点、オーシャンビューと温泉付きというのは強力なウリだが、残念ながら私はそれほど魅力を感じない。確かに眼前に広がる大海原にはケチのつけようがないが、一人湯船でゆっくり湯に漬かるのが好きな私にとって、温泉大浴場などなくてもまったく困らない。それに追い討ちをかけるように、上記のごとく熱海の街は住むには非常に不便で魅力もあまりない。

どうやら、私は最初の入り口で選択を間違えたようである。再度やり直し! そう自分に命ずるのだが、一方では、このまま都心で賃貸派を貫くのもいいかな、などと考え始めている。試行錯誤は当分続きそうである。


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2014年02月16日

人生のモード

ブログを通して交流のある方々のほとんどは40代から50代の人たちだと思われる。私も50代だが、あと1年もすると60代に突入する。皆さんより5年から10年以上先行して生きているわけで、私のブログを読めば、5年先、10年先の自分の様子がわかる、はずである。

例えば体調の変化。30代から40代にかけて不摂生をすると、その影響が50代になって現れる。何事にも原因があって、いつかその落とし前をつけなければならないのが人の世の習いである。大量の飲酒、気ままな食事、不規則な睡眠、過度の精神的ストレス……これらを10年も続けると、てきめんに心身に変調をきたす。たとえ不摂生をしない人でも、加齢とともに体力が衰えることは間違いないし、五十肩などという原因不明の症状に悩まされるようにもなる。女性の場合だと、閉経に伴う体調不良にも見舞われるだろう。私の場合、この10年で急性膵炎、肺疾患、胆嚢炎を発症して、生まれて初めての手術も経験した。

例えば気力の衰え。これには個人差があるが、困難に立ち向かおうとすれば、なけなしの気力を総動員しないと対処できなくなってくる。しかも、それがうまくいかなかったときのダメージは若い頃より格段に大きい。困ったことに、40代、50代は公私ともに責任が重くなり、直面する困難には金銭も絡んで、一筋縄ではいかないことが多い。自殺する人が50代に多いのもむべなるかな、である。

例えば家族との関係。歳をとればとるほど親や親族に不幸が相次ぎ、否応なく諸行無常を感じさせられる。その一方で、子供がらみで家庭にさまざまな波紋が広がるようになる。最近は30になっても独り立ちできない子供が珍しくないから、親の心労はいかばかりか。この点に関して私は門外漢だが、友人たちを見ていると、子育てにはずいぶん苦労しているようだ。当然のことながら、夫婦関係も安泰ではない。私の年頃で、夫婦関係に完全に満足している人はどれだけいるだろう。周りを見ても、ほとんどの夫婦が何らかの問題を抱えていて、とっくに離婚したというカップルも少なくない。

例えば人生に対する考え方。50代も後半になると、否応なく「自分にはあとどれだけの年月が残されているのだろう」と考えるようになる。そして、そんなことを考えている自分にびっくりする。で、どうするか。まず、何事も量より質を求めるようになる。自分の気に沿わないことは可能な限りしないようになる。若い人に自分の経験や教訓めいたことを話したくなる。人によっては、唐突に新しいことを始めたりする。要は、人生のモードが「まだ」から「もう」に切り替わり、さして多くはない残りの人生を前に、自らの欲求や長年秘めていた思いに素直になろうして、ジタバタするようになる。


先日、賃貸派から宗旨替えをして、都心に終の住処を買おうかなどと書いたが、今は、熱海にでもマンションを買って週末に帰るのも悪くはないな、「こだま」に乗れば50分だしな、などと考えている。60歳を前にした独身男のジタバタがどんな結末を迎えるか、楽しみにしていただきたい。

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2014年02月10日

別れの言葉

こちらが意図したわけではないが、ブログの移転と同時にLOVELOGでの「深川日記」は閲覧不可となってしまった。Web上とはいえ10年以上にわたって馴染んできた存在と、こんなに唐突に別れを告げることになろうとは思っていなかった。別に感傷的になっているわけではないが、ひと言の別れの言葉もなしに忘れ去ってしまうのは不本意である。そこで、私にとってLOVELOGとはどんな存在であったのかを記録にとどめておくことにする。

当初、LOVELOGの評判は必ずしも芳しくはなかった。というか、サービス停止に至る今日まで、好意的な評価は少なかったように思う。確かに、CS(顧客満足)という観点から見ると、なかなかつながらなかったり、バグが多かったり、写真のディスク容量が極端に小さかったり、気の利いたデザインが少なかったりと問題は多かった。そのため、業を煮やして出て行った人も少なくない。
しかし、私はこのLOVELOGがけっこう気に入っていた。その一つが、自分のブログ上に広告が一切表示されない点。そして、タレントや芸人などのチャラチャラしたブログとは一線を画していた点。もう一つ付け加えれば、最初から最後まで規模を求めずこじんまりしていた点。
これら長所と欠点は、要は「商売っ気がない」というひと言に集約される。そう、LOVELOGは良くも悪くも商売っ気がなく、商売に付随する“あざとさ”とは比較的無縁だったように思う。『時代おくれ』のような文字どおり時代遅れの歌が好きな私にとって、LOVELOGは現実離れのした、実に居心地のいい「隠れ家」だったのである。

ブログを始めた40代後半の私には、自らの見解や信条を声高らかに世に問おうなどという気はさらさらなかった。誰に気兼ねすることもなく、好きなことを好きなように書いて、ごく限られた人に読んでもらえればそれで十分。そんなふうに思っていた。そうすることによって、現実世界の居心地の悪さやしがらみから一時的にせよ自由になりたかった。つまり、私にとってブログとはある種の精神的な避難所であり、LOVELOGはそんな私の切実な思いを癒してくれるかけがえのない存在だったのである。

それから約10年、LOVELOGで私はたくさんの文章を書いてきた。その多くは、そのときの私がどうしても書かずにはいられなかった思いの集積であり、その意味では40代から50代にかけての私の精神史といっていい。もしブログを始めていなかったら、そのときどきの私の思いは形とはならず、うたかたのあぶくのように消え失せていたことだろう。大げさにいえば、LOVELOGの中に書かれた自分こそが本当の私であり、現実の私はかりそめの姿であると言えなくもない。

そのLOVELOGが、間もなくなくなろうとしている。そのこと自体に特別な感慨はないが、そこでの10年が過ぎ去ろうとしている事実に、寂寞とした思いを感じずにはいられない。これから始まる10年より、これまでの10年のほうが大切。そう思う自分の気持ちを、どのように処遇したものだろうか。


posted by ギャンブラー at 23:55| Comment(10) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月09日

引っ越し

当ブログは、LOVELOGより引っ越しました。
今後もご愛顧のほどを。

http://sasurainogambler.seesaa.net/


posted by ギャンブラー at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月13日

おめでたい

年が明けた。明けたが、何も変わらない。おそらくこのまま何も変わらないだろう。そう思いつつ過ごす新春は、幸せなのか、不幸なのか。

年末年始をひとりで過ごすうち、不意に「引っ越ししよう」と思い立った。特にきっかけがあったわけではないのだが、無意識の領域で「変化」を望む欲求が高まっていたのだろう。私のように単身かつ賃貸派は、思い立ったらすぐ引っ越しができる。さて、どこに引っ越そうと考え始めて、突然「いっそマンションを買ってしまおうか」という思いがわき上がってきた。しかし、還暦近くなって終の住まいを定めるのは、お金の問題だけでなく、大げさに言えば老後の生き方そのものにかかわってくる。
たとえば私の年来の夢は、リタイア後に好きな土地に居を構え、そこを拠点に何ヵ月かごとに各地に滞在するというライフスタイルである。拠点となる住まいは、何も東京でなくていい。会社に通勤する必要がなくなれば、インターネットが普及した現在、どこに住もうと利便性はあまり変わらないからだ。それなら、東京に比べて住宅コストが安いそこそこの規模の地方都市でマンションを買ったほうがいいではないか。そこに半年住み、あとの半年は札幌、京都、博多などにそれぞれ1〜2ヵ月滞在する。そして、その地のうまいものを食べ、週末は競馬を楽しむ−−。なんという魅力的な生活であろうか。

そこでまた、はたと考えた。いったい自分はいつリタイアできるのだろうか、と。可能なら今すぐ引退生活に入ってもいいのだが、立場上、そんなことが許されない環境に私は身を置いている。どうやら最低でも65歳、下手をすれば70近くになるまで会社とは縁が切れそうにない。病気で仕事が続けられなくなるまで働き続ける、という可能性が最も高い。従って、東京以外の土地にマンションを購入するという選択肢は捨てざるを得ない。

また、たとえマンションを買っても、そこで暮らせるのは10年か長くて20年である。私は男が比較的短命な家系に生まれたから、80歳を過ぎてもピンピンしている自分など想像できないのだ。それなら、今から新築マンションを買うのは、金銭的に買える買えないという問題以前にコストパフォーマンスが悪すぎる。では、中古マンションか。最近はリノベーションとか言って、部屋のレイアウトそのものを自分好みに改築する方法もある。そういうマンションを購入するとして、場所はどこがいいか。通勤時間の長い郊外は嫌。自転車に乗りたいから坂の多い街も嫌。できれば近くに大きな公園があるほうがいい……などと条件を考え始めるとキリがない。その挙げ句、「やっぱりこのまま賃貸でもいいか」と、元いた地点に戻ってくる始末である。

かくしてこの年末年始はあっという間に過ぎてしまった。めでたいというより、新年早々おめでたい自分に呆れ返っている。



posted by ギャンブラー at 11:33| Comment(10) | TrackBack(0) | よしなしごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする