2018年06月30日

偏見

中国の古書『魏志倭人伝』には、倭人の男は「皆黥面文身す」と書かれている。つまり、当時日本に住んでいた男どもは顔面や身体に入れ墨をしていたということだ。「未開の夷狄」の奇妙な風習という、いささか蔑んだニュアンスで書かれていたように思う。古代中国に限らず、文明化した現代社会においても、入れ墨は野蛮な風習というのが一般的な価値観だろう。

ところが、サッカーW杯を見ていると、実に多くの選手が腕や首などに入れ墨をしていることに驚かされる。メッシやネイマールという、世界を代表する選手もしかり。何億どころか何十億も稼ぐ、まごう方なき富裕層に属するのに、何が悲しくて彼らは入れ墨をするのだろうか。私が思うに、結局、サッカーというのは、野蛮な人たちのスポーツということだ。
事実、サッカー強国の欧州諸国は、これすべて「蛮族」の末裔である。南米人も、中世に侵略した欧州人の血を色濃く受け継いでいる。これら二つの地域にサッカー強国が多いことは、サッカーというスポーツの本質を表わしているように私には思える。

「蛮族」とは、古代ローマ帝国時代の主として北方に拠点を置く野蛮な民族の総称で、自らは何も生み出さず、半裸で、もっぱら農耕民族から食べ物や女子供をを強奪することを生業としていた民族のことである。ローマ帝国の歴史はこれら蛮族の侵入との闘いの歴史であって、結局は蛮族に蹂躙されて滅亡してしまう。
その蛮族の末裔が現代のヨーロッパ人である。どんなにイケメンで紳士的であっても、彼らの本質は野蛮であり、そんな彼らが生み出したサッカーもまた野蛮なスポーツだ、というのが私の偏見である。
一方、日本人は、遠い昔に「倭人」の野蛮な風習を捨てて文明化し、狭い島国ということもあって、お互いに相手の立場や気持ちを忖度しながら生きてきた。そんな国の選手が、野蛮な民族のスポーツであるサッカーで勝てるわけがないではないか。

わが日本チームが、点を取ることを放棄してパス回しに終始することで予選リーグを勝ち上がった。それに対して国内外から非難の声が上がっている。私に言わせれば、そんな批判はちゃんちゃらおかしい。
そもそもサッカーでは、わざとペナルティーエリアで倒された振りをしたり、痛くもないのに倒れ込んで時間稼ぎをするといった、日本人から見ると卑怯で見苦しい真似が普通に行われている。もともと野蛮な民族のスポーツなのだから、時に力づくで、時に狡猾に立ち回るのは、選手にとって息をするのと同じくらい当たり前のことなのだろう。そういうことに目をつぶって、無意味なパス回しをしたことだけを取り上げて非難する人は、無知か馬鹿か偽善者に違いない。

そんなことをブツブツ呟きながらテレビを見る。そうやって私はW杯を楽しんでいる。


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2018年05月20日

不可解

今、居酒屋でサラリーマンが盛り上がる話題と言えば、米朝首脳会談の行方でもなければ新元号が何になるかでもなく、日大アメリカンフットボール部の例の事件である。テレビ・新聞やネットでさんざん報じられているので、今さら私が言うことはないが、一連の報道に接していて、極めて不可解に思ったことがいくつかある。

一つ。あんなタックルをしたら、他のスポーツなら即退場になるのに、なぜ審判は見逃したのか。あの行為は、サッカーならボールに触っていない選手に後ろから近づいて、思いっきりキックを見舞うのと同等の行為である。あるいは野球なら、ヒットを打たれたことに腹を立てた投手が、走者に近づいていって選手めがけてボールを思いっきり投げつけるような行為である。いずれも、審判はすぐ退場を命じるだろう。それをしなかったのが私には不可解極まりない。

二つ。あの行為は反則というよりは、試合中に起きた傷害事件である。ならば、関西学院大学は、当該選手および彼に教唆した疑いで監督・コーチを刑事告発すべきである。自校の選手があんな目に遭わされたのだから、それが当然の措置だと思うのだが、抗議にとどめている。私にはそれが不可解である。

三つ。日大監督が相手校の関係者に謝罪に訪れた際のマスコミ取材で、「カンサイガクイン」と連呼していたというが、私にはそれがどうしても解せない。関東以北の人にとって、関西学院大学は馴染みのない大学かもしれないが、関西・近畿地方の学生および学校関係者にとっては、同志社と並ぶ私立の名門校であり、「カンセイ」と読むのはいわば常識である。まして同校は長年にわたって学生アメフト界最強のチームであり、その名は全国に鳴り響いている。その最大のライバル校である日大の監督が正式な校名を知らないはずがない。信じられないことではあるが、もし彼が正しい読み方を知らなかったとしたら、「モグリ」と言われても仕方ないだろう。

選手が半身不随になるかもしれない野蛮な暴力に晒され、さらに、自分の大学をライバル校の監督から間違った名前で呼ばれたら、普通ならただでは済ませない。私が若い頃、関西学院はお上品な坊ちゃん・嬢ちゃんが通う大学として知られていた(今は知らない)が、今回の事件で同校関係者がこれ以上の措置に踏み切らないとしたら、「さすが関学」と別の意味で感銘を受ける。


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2017年10月16日

目の前の危機


時節柄、北朝鮮危機に触れないわけにはいかないだろう。
これまでの新聞・雑誌による報道や識者のコメントを要約すると、次のようになる。

アメリカは、北朝鮮がICBMを保有し、自分たちへの脅迫に使ったり、いつ暴発するかもしれない状況を放置することはありえない。トランプ政権において、それはもう議論の余地のない確定事項だ。
北朝鮮にしても、核の保有は何十年にも及ぶ金一族の悲願であり、敵対する米国と渡り合うためには必要不可欠な武力と考えている。そう信じているのだから、いくら「核を捨てて経済発展を目指そう」と言っても意味はない。そもそも、今さら核を手放すようなことをすれば、金正恩は取り巻きの軍人から弱腰と見られて、自らの地位=命が危なくなる。ウルトラCは、アメリカとの戦争がいよいよ避けられなくなったとき、何もかも捨ててロシアに亡命することだが、現段階では時期尚早の穿った見方だろう。

従って、今問題なのは、両国が戦争するかどうかではなく、いつ、どのようにして始まり、どのように終わるか、である。最終的に勝つのがアメリカであることは、北朝鮮ですらわかっている。彼らにとっては、その間にアメリカおよび同盟国である日本と韓国にどれだけ打撃を与えられるかが問題だ。

戦争が起きる時期は、常識的に考えれば、トランプ大統領が日本、韓国、中国を訪問する11月以降の、あまり遅くない時期になるだろう。つまり、12月か1月。
どちらが先制攻撃をするかはわからない。北朝鮮が威嚇のためにミサイルを発射したことがきっかけになるかもしれない。地上戦ではなくミサイルの打ち合いになるだろうから、戦争の期間は、最短で1日、長くても数日で終わるだろう。ただし、地上のミサイル基地が全滅しても、潜水艦によるミサイル攻撃の可能性はかなり後まで残る。いずれにしても、戦争が1日でも長引くほど、アメリカと同盟国のリスクは高まる。問題は核ミサイルが使われるかどうかだが、自らが滅ぼうとしているとき、せっかく持っている核ミサイルを使わないと考えるほうがおかしい。

そうなったとき日本はどうなるのか。アメリカが戦争を決断したということは、日本や韓国に被害が出ることを覚悟したと考えるべきだ。ミサイルが飛んできたら撃ち落とせばいいと考えている人がいたとしたら、かなりおめでたい。あれは国民へのエクスキューズであって、ほとんど役に立たないことは軍事専門家なら誰でも知っている。
結局、日本の安全は、アメリカ軍による最初のミサイル攻撃で潜水艦を含む北朝鮮の核ミサイル基地の「すべて」を叩くか、サイバー攻撃など何らかの方法で無力化できるかどうかにかかっている。しかし、それらを完璧に実行するのは無理だろう。つまり我々日本人は、いよいよ、飛来するミサイルからどうやって身を守るかを真剣に考える時期に来ているということだ。

以上のことから、もはや米朝戦争は避けられないと私は考えている。だから、今般の選挙では、そのことを最優先で訴える政党に票を入れようと思っていたのだが、どこの党も、この問題を自衛隊や改憲問題にすり替えてしまって、目の前にある危機から意識的に目をそらせている。
例えば、核ミサイルではなくても通常ミサイルを原発に撃ち込まれたり、敵国の工作員が強力な爆弾を抱えて原発に攻撃を仕掛けたらどうなるか。それを考えれば、今すぐ自衛隊を投入して守りを固める必要があるのに、誰もそのことに注意を払わない。多くの人は、何の根拠もなく、そんなことは起こらないとでも思っているのだろう。

ユリウス・カエサル(シーザー)は、「人というのは、見たいと思うものしか見ようとしない」と言った。2000年前のその言葉を、無力感とともに噛みしめている。


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2017年10月01日

落日


政治が、ひどいことになっている。

北朝鮮問題が緊迫の度を増している今、あえて衆院解散に及んだ安倍首相。米国や中国との間に我々の知らない密約があるのかもしれないが、普通に考えたら、あまりにもゲスで非常識な暴挙というしかない。ある人が、「宿題をやっていないことがバレるのを恐れて、学校に火をつけた中学生のよう」と評したが、まさに言い得て妙である。こんな人物をトップに戴いている我がニッポン。アホらしい、としか言いようがない。

野党も、それに負けず劣らずひどいものである。その中心が民進党だ。もともと私は民主党(民進党)なんて消えてなくなればいいと思っていたし、今も思っているが、それにしても、希望の党という何の実績も実体もない勢力にすり寄り、自党から公認候補を立てないことを全会一致で決めたのには心底驚いた。いくらなんでもこれはひどい。前回の選挙で票を入れた人に対する責任、そしてなんと言っても公党としてのプライドと意地はないのだろうか。

私が小さい頃、政治家というのは、庶民から一定の尊敬を集める存在だった。裏で何やらごそごそしているのだろうなとは思っていても、それに目をつぶるくらいの重責を担っていたと思う。
しかし今は、優秀で矜持のある人間なら真っ先に避ける職業に成り果てている。自分もしくは自分が所属する党の利益を最優先し、というかそれしか考えず、状況に応じてポリシーをころころ変える。そんな人間を尊敬できるわけがないではないか。

それでも人は「選挙に行くべきだ」という。本当にこんな連中に一票を入れるしかないのか。それが民主主義というものなのか。
5時を過ぎて早くも薄暗くなってきた今の季節が、そのまま日本の行く末を表わしているようである。


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2016年08月07日

期待インフレ


リオ・オリンピックが始まった。例によってマスコミでは、金メダル何個は堅いとかいった、捕らぬ狸の皮算用を弾いている。少しでも上位に食い込む可能性のある選手やチームは金メダル1個と換算し、それを積み上げていくとその数になるらしい。もし金を逃したら、健闘ぶりを称えつつも、選手の不甲斐なさをほのめかす毒を行間ににじませる。勝手に期待し、それが裏切られたら勝手に悔しがる。こういうマスコミの態度は、バカバカしさを通り越して下劣である。先日ラジオを聞いていたら、この現象を「期待インフレ」というらしい。

オリンピックだけではない。私はゴルフをテレビで見るのが割と好きで、先日行われた全英オープンは深夜にもかかわらず結構遅くまで観戦した。ところが、ここにも期待インフレが押し寄せていて、「松山選手、メジャー初制覇へ!」といった文言が画面の右肩に常時表示されている。これが目障りで仕方がない。当の本人は初日から予選通過ラインギリギリのところをウロウロしているのに、どういう神経なのだろう。女子プロトーナメントも同じで、優勝するのは韓国選手とほぼ決まっているのに、そこから3打も4打も引き離されている日本人選手が「猛追」しているかようなフリップが表示される。実況アナも、まだ日本人選手が逆転優勝する可能性が高いようなニュアンスでしゃべる。「バカか、こいつは」とつぶやきながら見ることになって、純粋にスポーツを楽しむことができない。その背後には、そういう表示やナレーションを指示している人物がいるはずで、彼または彼女は何を考えているのだろう。おそらく、何も考えず「慣例」に従っているだけなのだろう。やはりバカである。

いつからこんなことになってしまったのかとツラツラ考えると、「失われた20年」のことではないかと思う。日本に勢いがあった頃を忘れられず、「こんなはずではない」という思いだけで、残酷で容赦のない現実を見ようとせず、ごまかそうとする。スポーツに限らず、ここ20年の日本は、マスコミを中心にそういう精神的に惨めな存在に成り下がってしまったように思う。

成績が落ちたら、その原因を冷静に分析し、適切な対策を打つ。さらに、その対策の効果を定期的にチェックしながら、軌道修正を行う。それを諦めずに粘り強く行うことが、スポーツだけでなく、ビジネスや受験などあらゆることに当てはまる唯一の処方箋だ。

今回のオリンピックも、テレビや新聞では、日本人選手に対する空疎な期待と落胆が乱発されるのだろう。ただただ騒がしいだけで、世界トップレベルの競技を堪能したいという人にとっては、迷惑行為でしかない。オリンピックなんて早く終わらないかなぁ。


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2016年07月23日

幸か不幸か


先の参院選では、結局、夜7時半頃に投票場に出向いてある候補と所属政党に投票した。候補者の中では一番マトモかなと思ったからだが、本当のところはわからない。所属政党に至っては、上層部の人事を見る限り溜息が出てしまうほどだ。それでも投票せざるをえない苦衷を、どう表現すればいいのだろう。まあ、「徒労」という熟語が一番ピッタリくるように思う。

さて、参院選以上に苦衷を強いられそうなのが来週末に迫った都知事選である。私の最大の関心事は、来たるオリンピックをいかに簡素なものにするかということだ。それ以外の政策はどの候補も言っていることで、実現するかどうかはともかく、誰が知事になっても一応実行するポーズはとるだろう。
しかしオリンピックは、ポーズだけでは困る。そもそも、当初のゼネコンの見積より2倍も3倍もの経費がかかってしまうなど、通常ではあり得ないことだ。会社で見積をとって発注した業者が、手のひらを返して「資材や人件費が高騰しまして、見積額より3割高になります」と言ったとしたら大問題になる。まして2倍、3倍となったら確実に裁判沙汰だ。そもそも北京やロンドンのメインスタジアムが600億か700億でできたのに、なぜ本邦では1500億とか2000億などというべらぼうな値段になるのか。まだ4年あるのだから、欲でどす黒くねじ曲がった方向を本来のコンセプトであるコンパクト・オリンピックに戻さなければならない。雲行きが怪しいなら、それこそ国民投票(都民投票?)でもやればいい。

そういう観点から主要候補を見ると、なんとまあ……。大臣や知事経験のある増田さんは手堅い行政手腕を売りにしているが、結局は自・公の言いなりで、オリンピックにもジャブジャブお金を使うだろう。小池さんは、上辺のブームに乗ることだけは上手らしいが、古巣の自民党や海千山千の都議会を敵に回して何ができるのだろう。鳥越さんにいたっては、そもそも都知事選に立候補すること自体が間違っている。小池さんに「病み上がり」と言われて激高したそうだが、ガンを4度もやった76歳の老人に都知事という激務が務まるはずもない。最初に口にした政策が「ガン検診受診率100%」というのも泣けてくる。晩節を汚さないでほしい。

では、どんな人物なら都知事にふさわしいのか。もし猪瀬さんが再立候補するなら、消去法で投票したかもしれない。都知事のときは最後にカネで醜態を晒したが、都知事や都政に何の幻想も抱いていないだろうから、例のシニカルな態度でやるべきことをやるのではないか。
あるいは橋下さん。彼が都知事になるのが吉と出るか凶と出るかわからないが、都議会や政府相手に派手なドンパチを繰り広げて、少なくとも飽きることはないだろう。

そういう選択肢のない今度の都知事選は、参院選と同じく、締め切りの夜8時まで、投票に行くか行くまいか迷うに違いない。そんな国に生まれ育って、幸せなのか不幸なのか、それすらわからなくなっている。

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2015年12月20日

リアリスト

今年の重大ニュースがマスコミで報じられる季節になった。その中で、いつか自分の考えを表明したいと思っていたのが、安保法案もしくは集団的自衛権についてである。このタイミングを逃すと、自分の中でうやむやになってしまいそうな気がするので、あえて書いておくことにする。

安全保障について考える際には、冷徹なリアリストであることが求められる。甘さや楽観、感傷を排して、現実に向き合うことが危機管理の原則であるからだ。「そんなはずはない」というのは、危機管理にとって禁句である。恥ずべき未定見である。このたびの安保法案も同じことだと思う。

誰だって平和がいい。人を殺したくもなければ、もちろん殺されたくもない。そういう感情と、安全保障は別のものだ。非武装中立、つまり現憲法を厳守し、憲法違反が明らかな自衛隊を廃止し、米国との軍事同盟も解消して、世界に向けて平和国家を宣言するという道もあるかもしれない。ただし、丸腰で国と国民が守れると考えるなら、その根拠もしくは手段を明示しなければ無責任極まりない。何しろ国民の命がかかっているのである。

例えば、永世中立国として有名なスイスは、国民皆兵制(徴兵制)をとっている。一定の年齢に達した男性はすべて軍隊で新兵訓練を受け、そのとき支給された自動小銃はそのまま自宅で保管することが義務づけられている。そこまでして初めて、国の安全が担保できると彼らは考えているのである。安保法制反対をスローガンに掲げ、これで徴兵制が可能になるなどと頓珍漢なことを叫んでいる一部の日本人に、いやいや集団的自衛権を放棄したら、逆に徴兵制を敷かなければならなくなるかもしれないと言ったら、どんな答えが返ってくるだろうか。
また、来年度の防衛費は5兆円となる見込みである。とんでもない金額で、できれば少なくしたいのは誰しも同じだろうが、もし日米軍事同盟を解消して日本単独で抑止力のある軍隊を持とうとすれば、年間23兆円の予算が必要との試算がある。その半分と見積もっても、そんな負担に日本が耐えられるはずがない。そういうことからすると、集団的自衛権はかなり安上がりなシステムといえるのではないか。

そうはいっても、まさか外国は攻めてこないだろう。世界の国が密接に繋がっているマネー経済を考えれば、日本に攻め入るリスクはあまりにも高く、どこの国も躊躇するだろう。第一、国連憲章に反する軍事行為によって世界から非難・制裁される愚はどの国も冒さないだろう。
そうかもしれない。だが、日本の仮想敵国である中国、ロシア、北朝鮮は特殊な政治形態の国であり、核ミサイルは常時日本を標的にしている。その国が、複雑な政治力学の結果、常識が通じない、狂気のような事態にエスカレートすることも考えられなくはない。また、ISのような勢力が日本をテロの標的にすることも十分考えられる。そのとき、「そんなはずがない」と言いながら死んでいく(殺される)日本の国民に、世界の人々は同情するだろうが、一方で、その愚かさを嗤うだろう。

このような私の考えに対して、集団的自衛権や安保法案に反対する人から、空理空論ではなく納得がいく反論を聞きたいものだ。



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2015年07月12日

むかつく


言葉は時代を経るに従って意味を変えることがある。「役不足」や「気の置けない」などは本来とは反対の意味に解釈されることが多い。それを間違いだと指摘する声は年々少なくなり、いつのまにか元の意味は忘れ去られてしまうのだろう。
「むかつく」などもその一例かもしれない。私が小さい頃は(乗り物酔いや病気で)「吐き気がする」という意味で使われていたが、今ではどれくらいの人が本来の意味を知っているだろう。だが、よくよく考えてみれば、今の「むかつく」と昔の「むかつく」は底辺の感情で繋がっていることがわかる。今の「むかつく」は、単に「気に入らない」から「吐き気がするくらい腹が立つ」までを含んだ広範な悪感情を表わす便利な表現として使われているからだ。
私が以下に記す「むかつく」がどちらの意味かは、このブログの読者ならわざわざ言うまでもあるまい。

例えば乳幼児虐待。生まれたばかりの乳児や年端もいかない幼児を大人が力一杯殴ったり蹴ったりすれば死ぬくらい、誰でもわかる。それにもかかわらず、「躾のつもりだった」とか「死ぬとは思わなかった」などという弁明を受け入れて、殺人ではなく傷害致死の判決が下されたとき、私は非常に「むかつく」。

最近では、新国立競技場の件には言葉にならないくらい「むかつく」。建設費2,500億円などという異様な数字を前にして誰もストップをかけないことに、文字通り反吐が出る。この件について橋下大阪市長は「貧乏に喘いでいる家がフェラーリを買うようなもの」と言ったという。また、ある評論家は、「責任者も全体計画もないまま結論ありきで無謀な対米戦争に突っ込んでいった戦前と同じ、日本人の意思決定の法則の典型」と書いている。全く同感である。
私はあの新国立競技場の完成予想図を最初に見たとき、「何だか幼稚で気恥ずかしいデザインだな」と思った。それでもできたらできたで、名所の一つになるのだろうと苦笑して済ませていた。しかし、その建設費用を見て気分が悪くなった。いったい推進派の頭の中はどうなっているのだろう。私には金輪際理解できない。
そもそも私は、東京オリンピックなどというものに反対だったし、今も反対だ。今さら国威発揚もないだろうし、スポーツ振興はオリンピックなしでもできる。経済効果を言う人もいるが、東京はもう十分開発されているし、大地震がくれば液状化するような土地に世界の大勢の人が集まる施設を建てること自体、無責任の極みだろう。

私には子も孫もいないが、彼らの世代にとって間違いなく負の遺産になる、あのバカげた施設の建設を押し進めた一派と同時代を生きた一人として、せめてこのブログで「絶対反対」を表明しておく。


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2015年01月25日

違和感


シャルリー・エブド襲撃事件から日本人人質事件まで、イスラム国による蛮行に世間の耳目が集まっている。もともとイスラム教に無知で無関心ということもあって、「なぜ?」と感じることが次々とわき起こるのだが、事態の進展が早すぎて、それらの疑問や違和感が置き去りにされてしまう。結局、何が何やらわからないまま時間だけが過ぎていって、いずれは過去の出来事として記憶の底に格納されてしまうのだろう。私が感じる疑問、違和感とは、例えば次のようなものである。

■シャルリー・エブドの風刺画がちっとも面白くない
すべてのカリカチュアを見たわけではないが、そこにエスプリやユーモア精神を感じることは稀である。はっきり言って、「欧米人はなぜこんな絵を面白がるのだろう」と思わざるをえない。文化の違い、感性の違いと言われればそれまでだが、私のように感じている日本人は結構多いのではあるまいか。

■表現の自由に対する考え方
シャルリー・エブド襲撃事件後、初めて発行した誌面にカリカチュアを描いた人物が、記者会見で「表現の自由に“だが”も“しかし”もない」と言い切ったことが印象的だった。市民革命によって圧政から自由を勝ち取った国と、外圧によってその思想を移植した国の違いというか、両者には深い溝が横たわっているように感じる。

■人質になった二人は結局何者なのか
殺害されたとされる湯川氏は、「民間軍事会社代表」と伝えられている。彼はいったい何者で、彼の地で何をしようとしていたのか。また、ジャーナリストの後藤氏は、その湯川氏を助けるために現地に向かったというが、二人は知り合いなのか、それとも使命感に駆られたことが動機なのか。そのへんがよくわからないし、新聞やテレビなどのマスコミも、例によってこちらの最も知りたい情報を伝えてくれない。動機はともかく、後藤氏には現地に入って湯川氏を助ける算段があったのかどうかもよくわからない。もし何もなくただ闇雲に現地入りしたとしたら、それは単なる蛮勇であって、最も忌むべき行動であると思う。


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posted by ギャンブラー at 10:50| Comment(6) | TrackBack(0) | 口は災いのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月21日

W杯雑感


W杯で日本代表が苦戦している。連勝した直前の親善試合とはまるで別チームではないかと思うくらい萎縮してしまって、以前の弱かった頃の日本サッカーに戻ってしまった感がある。猛獣のように点を取り合うサッカー先進国と比べると、これが同じスポーツかと思うほど日本のサッカーはひ弱だ。
とはいえ、私はサッカーの素人だから、技術がどうの、戦術がどうのと論じても後知恵を嗤われるだけである。私がこの件に関して最も興味があるのは、ネット住民たちの反応だ。日本代表の試合があった日には、さまざまな掲示板にものすごい数のコメントが書き込まれている。普段は韓国や中国に対する罵詈雑言一色の某掲示板も、今はそれを脇に置いて、日本代表に対するコメントで溢れている。その内容は次の3つに大別されるようだ。

1.口を極めて罵倒するパターン。大会前は一定の評価もしくは尊敬を集めていたスター選手や監督も、一転して無能呼ばわり。それに反比例して、辛口のコメントで知られていた評論家の評価はうなぎ上り。全体の90%を占めるのがこうしたコメントで、選手批判と併せて「マスゴミ」批判も行うのが一大特徴。

2.上記のように選手・監督を非難する者たちを、逆に嘲笑するパターン。少し前まで日本代表に期待していたのに、負けると手のひらを返したように罵倒する、その節操のなさを皮肉たっぷりに逆批判するのが特徴。

3.技術や戦術、采配のまずさを比較的冷静に批評するパターン。そして最後に、「本当のサッカー通なら、日本が勝ち上がれないことなどとっくにわかっていた」と付け加えることが多い。

これらのコメントを読んでいると、自分にも負のオーラがまとわりついてくるのが感じられ、思わず身震いしてしまう。一方で、ネット住民の気持ちもわからないではない。「目指すのはもちろん優勝です」「この4年間の努力と思いのすべてを90分にぶつける」……こんな勇ましい言葉をことあるごとに聞かされては、期待しないほうが無理というものだ。しかるに、腰の引けたパスやおどおどしたプレーばかり見せられたのでは、それでも日本代表か、言っていることとやっていることが正反対ではないかと、腹を立てて当然である。

それにしても、いつから日本の選手たちはあんな大言壮語を吐くようになったのだろう。ポジティブ・シンキングというのだろうが、それも度が過ぎればうさん臭く、滑稽ですらある。
ふと、「男は黙ってサッポロビール」という名コピーと、三船敏郎の苦みばしった顔を思い出した。あの広告に共感を覚える日本人は、もはや少数派なのだろうか。


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2013年12月15日

余計なお世話

土曜の夕刻、近くのコンビニに競馬新聞を買いに出かけた。その足でスーパーに寄って夕飯の食材を買い、夜はゆっくり明日の朝日杯の検討をするという段取りである。
ところが、その目論見はコンビニに入った途端、もろくも崩れてしまった。さっさと新聞を買って出るつもりが、レジで10分近く待たされてしまったのである。特に混んでいたわけではない。レジ待ちはせいぜい3人ほど。ところがこれがなかなか動かない。一つのレジでは、宅配便を預けにきた中年女性への応対がもたもたしていて、当分空きそうにない。店員の処理に問題があるのか客のほうに不備があるのか知らないが、見ているだけでイライラする。
もう一つのレジでは、子供連れの中年女性が、おでんを買うのに手間取っていた。子供に何が欲しいか聞いては店員に注文し、また修正し、ということを繰り返している。やっと勘定が終わり、次の客である初老の女性が勘定を済ませれば自分の番……と思いきや、またもやおでんを買い出した。それがまた何種類にも及び、店員も注文についていくのが精一杯で、もたもたしている。

以前から私は、コンビニでおでんを煮売りすることに強い違和感を持っている。店内に出汁の匂いがこもるのがまず感心しない。食材を売る客商売なら、もっと匂いに敏感であるべきだ。客に対しても、おでんくらい家で作れよと言いたくなる。目の前にあるスーパーで具材を買えば、1〜2時間後にはそこそこおいしいおでんを食べることができるではないか。忙しい平日の仕事帰りならともかく、土曜の夕方である。こんなときくらい家で子供と一緒に料理を作ったらどうだ、と私のイライラは募るばかりである。まったく余計なお世話なのであるが、普段から気に入らないおでんの煮売りのせいで延々と待たされたものだから、私もつい意地悪になってしまうのである。
もう一度言う。「おでんくらい家で作れよ」



朝日杯の予想
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2013年05月18日

愚者

愚かな政治家たちが愚かな発言をし、愚かな事態を招いている。発言内容が正しいとか正しくないとか、そんなことは問題ではない。結局は立場による解釈の違いでしかないからだ。そして、解釈は常に勝者のものが「正史」となる。敗者は悪、それが歴史の常識である。

70年以上前、日本は無謀な戦争に突入、あるいは無謀な戦争に突入するよう列強に仕向けられた。そしてこてんぱんに叩きのめされた。それが全てである。今さら何を言っても、世界は負け犬の遠吠え、もしくは「正史」に楯突く敗者の悪あがきとしか見ない。
それがわからず、わかっていても認めようとしない愚か者が愚かな発言をし、批判を受けるとすぐ撤回したり、逆に居直ったりする。日本を貶めようとしている勢力は笑いが止まらないだろう。彼らは口ではもっともらしく日本を非難しながら、腹の中では「後先を考えずに思っていることをそのまま口にして自国の立場を悪くするとは、なんて愚かな奴らだろう」と嗤っているに違いない。



愚者のオークス予想
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2012年12月17日

民意

このたびの選挙では、自民が大勝し、民主が奈落の底に沈んだ。おおよそ予想していた通りであるが、それにしても、郵政民営化選挙では小泉を熱狂的に支持し、その自民党がダメだと思ったらこぞって民主党になびく。その民主党がダメ集団とわかったら、また自民党……とは、この国の有権者はいったい何を考えているのであろうか。ま、何も考えず、マスコミ報道に踊らされて、あるいはその場の空気に身をゆだねて投票しているからこうなるだけの話である。これを「衆愚政治」という。我々はまぎれもなくおバカな大衆なのである。

そもそも、郵政民営化の意味をどれだけの人が理解しているのだろうか。国家財政、デフレ、原発、はたまたTPPについてはどうだろう。専門家のような深い知識でなくとも、その概略を正確に説明できる有権者はどれだけいるのだろうか。平均すれば100人に1人くらいの割合だろう。自分や自分の子孫が大きな影響を受けるこれらの問題を深く知ろうとせず、「難しいことはわからないから」と自らをごまかし、国政に参加すると称して投票する。それが「民意」の御旗となって、政策が推し進められていく。実に恐ろしい話である。

暇つぶしに、永田町でこれから1〜2年以内に起こるであろうことを予想してみる。
・新閣僚のうち何人かはカネか「不適切な交際」が発覚して辞任に追い込まれる。
・日本維新の会は、基本政策の不一致により分裂する。分裂しなければ、離反者が大量に出る。
・分裂後の維新の会とみんなの党、その他が合体もしくは連携する。
・民主党が盛り返すことはなく、数十議席が精一杯の万年野党が定位置となる。
・次の参院選で自民が大勝することはない。

こんなところだろうか。
では、高みの見物を気取っているお前はどうなのか、と問われれば……もちろん、衆愚の一人として浅はかな判断をし、時代の波に押し流され、時の権力機構から収奪され続ける。そうやって右往左往しながら一生を終えるだろう。それだけは間違いない。




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2012年11月22日

困った

さあ、困った。来る衆院選のことを考えると、投票したい政党や政治家がまるで思い浮かばない。
たとえば、台風の目とされる日本維新の会。第三極の中核というもっともらしい評価だけが先行しているが、骨のありそうなのは代表者ただ一人で、あとは彼の人気に便乗して旨い汁を吸おうと集まった烏合の衆。しかも肝心の代表者はというと、依って立つ基本政策をいとも簡単に曲げて、こわもてだけが売りの老政治家集団とホイホイと組むことからもわかるように、強烈な権力欲が透けて見えてしまう。
他の小政党にしても、その中身(政策、ビジョン)は玉石混淆。いずれも確固とした政治信条や哲学など感じられず、その場の状況に応じてホイホイと変節してしまうような輩ばかりである。かといって、某宗教党は気持ち悪いし、共産党はあくまでスパイスに過ぎず、王道にはなり得ない。

では、大政党はどうか。民主党はこの3年で、日本を滅亡の淵に導きかねない政治のアマチュア集団であることがはっきりしたし、自民党はと言えば、恥をさらして首相を辞めた人間が再登場し、過去の遺物になったはずの土建屋政治と、てんで方向違いの経済政策を復活させそうな雲行きである。おそらくこの政党が勝って与党になるのだろうが、既得権益勢力が再び台頭して、日本の政治は、数年前に否定した体制に逆戻りしてしまうだろう。そして、日本は世界の変化に取り残されて衰退への道を転げ落ちるだろう。

私が政治家に聞きたいのは、例えば原発とTPPについて。原発反対や脱原発を叫ぶのは簡単だが、資源のない日本で電気の元となるエネルギーを安価に安定的に調達する方法はあるのか、それができないなら、日本人が文化的である程度豊かな暮らしを維持するにはどうすればいいのかについて、客観的で根拠のあるアイデア・施策を述べるのが政治家の役割だろう。逆に、原発推進もしくは容認を掲げるなら、原発を運営する電力会社や、そこで働く人が必ずズルやヘマやミスをするという前提のもとに、フクシマの二の舞を防ぐための厳正な仕組みを提示しなければならない。
同じく、TPPに反対して日本の農業を守ろうという人には、TPPに参加しようとしまいと、すでに我が国の農業は崩壊寸前であることを知っているのかね、と聞きたいものである。この現状を打開するためには、さまざまな規制でがんじがらめにされている農業政策を根本的に変革する必要があって、その過程では零細農家を切り捨てざるを得ないのだが、その不都合な真実を明言できる政治家がどれだけいるのだろう。

先日ラジオを聞いていたら、日本に帰国中の大橋巨泉が、「ろくな政治家しかいないのだから、みんなで投票を棄権して全員を落選させよう」と言い捨てて外国に戻ってしまった。無責任と言えばその通りだが、実は私は彼の言うことに共感を覚えている。というのも、最近の私は選挙には行っているものの、すべて白票を投じているのだ。どう真面目に考えても、いや、真面目に考えれば考えるほど投票したいと思う政治家や政党がないからである。

こういうとき競馬では、下手にひねらず人気馬に乗るのが鉄則だが、あえて人気薄の穴馬を探すか、やっぱり初志を貫いて白票を投じるか、困った、困った。




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2012年09月16日

経済か命か

先日、民主党政権が2030年代までに原発の稼働をゼロにする方針を閣議決定した。それに対して、賛成する人もいれば反対する人もいる。特に経済界からの反発は強い。このままでは電気代が跳ね上がり、日本企業の競争力が失われて産業の空洞化がますます進展するという理屈だ。その一方で、原発ゼロを支持する人々は、「経済より命が大切」とシュプレヒコールを上げる。前者を経済至上主義、後者を人命(環境)至上主義と色分けすればわかりやすいが、それほど簡単な問題ではないと私は考えている。

原発の稼働を再開することは是か非か――。この問いを突きつけられたら、私は「非」と答える。しかしそれは、経済より人の命のほうが大事だ、という理由からではない。
原発あるいは核物質に対して、私は何の予断も偏見も持っていない。それを安全にコントロールできるならば、おおいに活用すべきだとさえ思っている。しかし、現実には、使用済み核燃料の処理も含めて核物質をコントロールする技術は未熟であり、しかもそれを、危機管理能力が欠如し、無責任体制にどっぷり漬かった人々が運用している。これほど恐いことはないから、「非」と答えざるを得ないのだ。
しかし同時に、経済と人命をあたかも対立するものであるかのように主張する人々には、強い違和感を覚える。

経済が衰退すれば、中小企業を中心に倒産が相次ぎ、失業者が激増する。収入の道を断たれたら、家のローンを返せなくなるどころか、明日食うのにも困る。収入がないのだから、税金や社会保険料は払えないし、逆に税金によって公的扶助を受けることになるだろう。そういう人が増えればどうなるか。まして1,000兆円以上の莫大な負債を抱えている国である。現在でも税収を上回る規模の国債を発行してなんとか国を回している状態なのに、これ以上税収が減ればそんな泥縄的なやりくりも不可能になる。そもそもこれ以上国債を発行しようとしても、銀行も郵貯も生保も、あと何年かで引き受ける余力がないところまできている。最後は外国に国債を買ってもらうしかなかろうが、当然落ち目の日本は足下を見られ、国債の金利が上がって国富が流出してしまう。そういう状態が続けば、いずれ国家財政は破綻してしまうだろう。

国家財政が破綻するということは、国債購入に使われていた我々の預貯金がなくなることであり、たとえ預金を引き出すことができても、猛烈なインフレが起こってカネの価値がなくなってしまうということである。さらに、社会生活を支えるインフラの多くが機能不全に陥り、我々が当たり前と思っている行政サービスも受けられなくなるだろう。ゴミは街角に放置されて悪臭を放ち、救急車や消防車を呼んでもなかなか来てくれない。なぜなら、公務員に払う給料を調達できないからだ。もちろん、老齢年金の給付もストップされるか、大幅に減額されるだろう。その結果、自殺も含めて多くの人命が失われることは間違いない。経済は人命と深く結びついているのだ。
原発をやめることだけが経済衰退を招くわけではない。しかし、原発の替わりに火力発電所を動かすためには、年間3兆円とも言われる化石燃料を購入しなければならない。もし円安に振れれば、その額は4兆円、5兆円にもなってしまうだろう。それだけの富が、他ならぬ我々が支払っている電気代として毎年産油国へと流れていく。原発停止による石油や天然ガスの輸入急増の結果、すでに日本の貿易収支は赤字に陥っており、外国への投資などによってかろうじて経常収支が黒字になっているに過ぎない。もはや日本は、貿易という本業だけでは赤字を垂れ流すしかない国になりつつあるのだ。

以上のような考え方しかできないのは、成長至上主義、経済発展第一主義の呪縛に縛られているせいであり、発想を転換し、もっとコンパクトな経済、質素なライフスタイルに変換すれば、この苦境を打開するための道筋が見つかるはずだという意見もある。私も同感だが、果たしてどれだけの人の同意を得られるだろうか。「経済より命のほうが大事」と叫んでいる人のうち、経済が縮小して日本が貧しくなれば、今のようなレベルの暮らしは到底成り立たないことを理解し、それでもいいから原発をやめるべきだという「覚悟」を持っている人はどれだけいるのだろう。

再び言うが、原発の稼働を再開することは是か非かという問いを突きつけられたら、私は「非」と答える。しかしその答えの先には、昭和30年代のような貧しい日本の国が見え隠れしている。そこに住む覚悟がお前にあるのか−−。その問いに躊躇なく「是」とは答えられない自分がいる。




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2012年03月11日

偽りの1年

あの日から1年が過ぎた。この間にわかったこと、それに対して自分なりに考えたことを総括しておくことにする。やはりそれが筋だと思うからだ。

■為政者は嘘をつく
福島第一原子力発電所の事故は、被災直後に炉心溶融を起こしていたことが明らかになった。超高温の核燃料は圧力容器の底を溶かして格納容器に垂れ落ち、さらにそこも突き破って基礎部分に浸透した。その事実をほぼ把握していたにもかかわらず、東電や政府の発表は事実とはほど遠い内容であった。また、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)があったにもかかわらず、そのデータは米国(米軍)だけに知らされ、自国民には伏せられた。
ここからわかるのは、国民のパニックを防ぐことに腐心していた当時の政府の姿である。特に1000万人の東京都民がパニックに襲われれば、日本の中枢は機能停止となる。為政者として、それだけは避けたかったのだろう。
ここから学ぶべきことは、本当の危機に際して、為政者は嘘をつくということである。それがけしからんと言っているのではない。どこの国の政府であれ、為政者は国民に嘘をつく。そのために国民の命や健康が損なわれようと、国家体制の崩壊を防ぐことが何より優先される。政治とはそういうものだ。もちろん、政府の発表はすべてデタラメだ、などと言うつもりはない。しかし、政治経済体制や治安が崩壊の危機に直面したとき、為政者の発表を鵜呑みにすることは危険である。今後もし同じようなことが起きた場合、私は米国(米軍)の動静に真っ先に注目する。日本政府は民主党であれ自民党であれ、ご主人様の米国に嘘はつけないからだ。

■「絆」のうさん臭さ
思えば昨年末、2011年を象徴する漢字に「絆」が選ばれたとき、なんとなくうさん臭い感じがしたものだ。
一周年の日を迎え、再びこの言葉があちこちで飛び交っている。その一方で、被災した県の大量のがれき受け入れを表明しているのは青森、山形、東京だけで、それ以外の自治体はすべて拒否しているという。これほどあからさまな言行不一致も珍しい。
本当のところ、自分の不利益を顧みずに他人の災難を救おう、助けになろうと思っていないなら、「絆」などというお為ごかしの言葉など使わないことだ。それならいっそ、「オレは知らん。自分のことは自分でやれ」と突き放したほうが人として真っ当だろう。

■これから何をするか
今回の大災害と大事故に直面しても、日本は何も変わらず、「緩慢な死」を選んだ。それは、なんとしても既得権益を守るという政治家や財界、高級官僚の強い意志の現れでもある。今後もし日本が再生するとしたら、敗戦のような一大クラッシュによって既存の体制や権力が崩壊することが前提になる。
私自身は、その日に備えて個人にできる範囲の防御策を講じておくしかない。それが有効かどうかはわからないが…。そして、それまではしっかり働いて税金を納め、会社としても利益を出して法人税を納めることを目指そうと思う。それが東北の再生にとって一番有効だと思うからだ。



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2011年06月26日

犬の生活

仕事が立て込んで犬の生活を送っていたら、いつの間にか6月も終わりである。
この間、福島原発はいよいよ底なし沼に沈んでしまい、もはや助け出すことは不可能だろう。事故発生以来、やることなすことすべて後手、しかも設備機器は故障の連続とあっては、「モノづくり大国ニッポン」の金看板が泣いている。ただ、そんな皮肉は現場で働いている人たちには酷というもので、所詮、放射性物質は人類の手に負えないのだから仕方がない、と諦めたほうがいいのだろう。
今、東京電力や霞が関の奥の院に棲息しているエリートたちが考えているのは、電力不足で日本経済が破滅するといった、停止している他の原発再稼働に向けた世論誘導と、今後空気中に飛散したり大量に溢れ出す汚染水の放射線量をいかに低く見積もって外発するかということ。とはいえ、前者については30℃を大幅に超えた酷暑の先日でも電力消費量にはまだ余裕があったし、後者については「ただちに健康に影響はないレベル」などという表現が今さら許されるはずもない。これらの難問を頭の良い連中がどう切り抜けようとあがくのか、なかなかの見物である。

一方、政治はというと、完全に溶融してしまって元の形状すら思い出せないほどである。近代日本で大変革が起こるのは、明治維新にしろ先の敗戦にしろすべて外国からの圧力であって、東日本大震災のダメージくらいでは、機能不全に陥った日本を解体・再生することはできないらしい。
先日、仕事で仙台と石巻に行ったが、地震から3ヵ月以上経つというのに、まだ広大な土地が手つかずのまま放置されており、避難民の多くは段ボールで仕切った狭いスペースで寝起きしている。また、みんながこぞって募金に応じた義援金の多くは金庫に眠ったままで、未だに行き渡っていない。こんな体たらくの原因を行政や日赤の怠慢だけに求めるのは間違いであって、政治や社会の仕組みそのものが肥大化し動脈硬化を起こしていて、現実に対応できなくなっていることこそが問題なのである。こんな仕組みは早く壊し、そこから血を吸っている寄生虫を始末した上で、もっとシンプルで効率の良い仕組みを再構築すべきであるのは誰でもわかっているのだが、自らの力で根本的な改革は金輪際できないというのが、我がニッポンの悲しい現実である。
だから、菅首相がなかなかやめないと怒ってみても仕方がない。そもそも、山積した課題をてきぱきと片づけられるような政治家は日本にいないし、仕組みもないのだ。そんな居もしない政治家や政党を求めて騒ぎ、選挙でいっときの刹那的な投票行動に出るから、常に失望の連続なのである。

そんなことを考えているとフラストレーションがたまる。こんなときは酒を飲むに限るが、それも叶わぬ我が身。となると、あとは仕事で気を紛らわせるしかない。仕事は嫌なことも多いが、少なくともやればやっただけ成果もしくは達成感を得ることができる。従って、私の犬の生活はこれからも続く。




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2011年02月04日

本当の恐怖

年が明けたと思ったら、あっという間にひと月が過ぎてしまった。この間、私のやったことと言えば、仕事を除くと競馬と読書くらい。競馬は単・複馬券に切り替えてから絶好調で、25レース買って的中したのが13レース、的中率は52%、回収率も200%という高率である。こういう自慢をした途端に勝負の女神は逃げていくものだから、我がことながらこれからが見物だが、改めて馬券は当たってナンボだと実感している。

一方、本は相変わらずコンスタントに読んでいて、それらは右欄の「たなぞう」に簡単な感想とともにリストアップしているのだが、最近読み終えた本があまりにも印象的だったので、あえてここで取り上げることにする。
その本とは、百田尚樹著『永遠のゼロ』。一言でいえば戦前の特攻隊にまつわる物語だが、それだけの説明で済ませてしまうことに罪悪感を覚えるほどの問題提起がこの小説にはある。ストーリーを説明するのはマナー違反なので省くが、私見では、司馬遼太郎の『坂の上の雲』と大西巨人の『神聖喜劇』、そしてこの『永遠のゼロ』は現代日本に生まれたからにはぜひ読むべき小説だと思われる。なぜか? この国を支配してきたエリートたちがいかに無能で、人間としても二流三流であったかを白日のもとに暴いているからだ。中には立派な人物もいたのだろうが、大半は犯罪的と言えるほどの愚物であり、それが絶大な権力を握った結果、何十万、何百万もの人命が理不尽に奪われた。『坂の上の雲』に登場する「軍神」乃木希典しかり、『神聖喜劇』で描かれる帝国陸軍の上官たちしかり、さらには『永遠のゼロ』で語られる海軍の高級参謀たちしかり。ペーパーテストでは抜群の能力を発揮する彼らが、本質的には馬鹿であり、人の命を命とも思わない人非人的性格を有していたことを、これらの小説は直接的に間接的に描き出している。

しょせん旧日本軍の話でしょ、というほど問題は単純ではない。明治以降敗戦の年まで、国家体制がほぼ一貫して軍中心であったから、当時の秀才がこぞって軍に集中しただけの話で、そのエリートたちは、現代では中央官庁の官僚や政治家としてこの国を切り回している。つまり、日本を破滅に導いたDNAは確実に今の世にも受け継がれているのであり、その証拠は枚挙に暇がない。国家政策として実施された南米への移民という名の棄民、自らの天下り先である製薬会社と結託した結果の度重なる薬害、無責任と怠慢の極みである年金問題、税金の詐取が常態化している警察官僚組織……。そこにあるのは、鼻持ちならない選民思想と自らの保身、そして人命蔑視だ。

日本はこれから、衰退の道を転がり落ちていく。その過程では、躊躇なく庶民を切り捨てて自らは生き残ろうとする彼らの本性がより明らかになるはずだ。さすがに1銭5厘の赤紙1枚で命を奪われることはなかろうが、経済的には大多数の人が犠牲となるだろう。
本当に怖いのは中国でも北朝鮮でもなく、我が国のエリートと称される支配者たちだと私は秘かに思っている。
posted by ギャンブラー at 18:57| Comment(5) | TrackBack(0) | 口は災いのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月16日

夢想

菅内閣、ひいては民主党そのものに対する支持率が急落している。フラフラと軸がぶれ、内政、外交すべてにおいて失点続きの現状を見ると、それもまたむべなるかなという気がする。しかし一方で、去年の夏の衆議院議員選挙で308もの議席を与えたのは誰だっけ、という思いもまた禁じ得ない。そこまで圧倒的に支持したのなら、まだ1年とちょっとしか経っていないのに、みんなこぞって彼の党に非難のつぶてを投げつける節操のなさはいかがなものか。
半世紀の長きにわたって政権を握ってきた自民党に替わって政権の座についた民主党が、政治のアマチュア揃いであることは容易に想像がつく。それは承知の上で、あるいはそこには目をつぶって、みんな民主党に投票したのではないか。しかるにこの様子では、もし今選挙が行われたら、今度は自民党とその亜流にこぞって投票するのではないか。今の民主党は世界の笑い者だと嘲笑する人がいるが、私はいっときの感情に流されて雪崩を打つように節操なくあっちこっちの党に投票する選挙民こそ、世界の笑い者だと思う。
もし近々に選挙が行われたとして、もう一度民主党を与党に選んだとしたら、世界の政治通は日本国民の民度を見直すだろう。今はたとえ未熟でも、我慢して政治家を育てていこうという意志、もしくは長期的なビジョンが感じられるからだ。
実は、世界をアッと言わせるもっといい方法がある。それは投票率が80%と高率にもかかわらず、白票が半分に達するというケースだ。議会制民主主義の国に住む市民として、投票には必ず行く。しかし、自分たちの暮らしや国の未来を託するに足る政治家はどこをどう探しても見あたらない。だからやむなく白票を投じるしかない。そんな国民が多数を占めたなら、その無言の抗議の表明が凄まじい圧力となって、日本の政治は劇的に変わるのではなかろうか。ここ10年あまり、ほとんどの選挙で白票を投じている私の夢想ではあるのだが…。
posted by ギャンブラー at 23:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 口は災いのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月30日

異議あり

昨日のボクシング世界タイトルマッチ、内藤vs亀田戦。戦前はTBSが“世紀の対戦”“因縁の闘い”と煽りに煽り、試合ではアナウンサーが「まれに見る熱戦」「壮絶な打ち合い」と絶叫を繰り返す。しかし私は、最初の何ラウンドかを見て、なんてレベルの低いボクシングなんだと失望した。チャンピオンの内藤は動きに切れがなく、大ぶりのパンチをただ繰り出すだけ。対する亀田はそんな内藤の出鼻をくじくカウンターパンチを放っては素早く退くという、とてもチャレンジャーとは思えない消極的な戦いぶり。果たしてこんなボクシングが世界トップ同士の戦いと言えるのだろうか。
私はボクシングをしたこともなければ、ボクシングの見巧者でもない。だから私が抱いた感想は、素人に特有の皮相的なものかもしれない。しかし、そんな私でも、大場政夫や具志堅用高のボクシングに魂を奪われるような感動を覚えた経験がある。相手の肉を削ぐようなパンチや、両者立ち止まっての壮絶な殴り合いに目が釘付けになり、血が沸き立ったものだ。それに比べたら、ほとんど打ち合いらしい打ち合いもせず、アナウンサーが絶叫するだけの今回の対戦など、見ていて虚しいだけだ。
視聴率が軽く40%を超え、翌日も「感動的な」密着ドキュメントが放映されるのを知って、「みんなホントに感動したの? あの程度のボクシングで」と、ひねくれ者として一応いちゃもんをつけておく。
posted by ギャンブラー at 22:35| Comment(9) | TrackBack(0) | 口は災いのもと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする