2010年10月03日

世の定め

さて、株である。これまで私はこのブログで、「勝った、勝った、また勝った」などという実に浮かれた話しかしてこなかったが、その後どうなったのか? 「ギャンブラーのやつ、相変わらず株で儲けているのか」とか、「いやいや、最近の株価暴落で破産寸前に違いない」とか、さまざまな憶測を呼んでいるかもしれない。

日経平均株価は、4月5日に11,339円30円まで上昇した。このままいけば12,000円の大台は間もなくだ、と思った素人投資家は少なくなかったに違いない。私もその一人である。
日本経済は2年前のリーマンショックの影響からようやく脱し、大企業を中心に3月末の決算は好調。業績回復どころか、過去最高の利益を叩き出した企業も少なくなかった。「これから株価は徐々に上昇していくだろう」と予測したのは、何も素人だけではなく、経済アナリストの大半がそんな予測を発表していた。「ここは強気でいこう。業績を見ながら割安感のある株を買い込むときだ!」と私が考えたとしても、あながち間違いではなかったと思う。

ところがですね。新年度に入った直後の4月半ばにギリシャの財政問題が浮上したわけです。「ギリシャショック? なんじゃそりゃ」というのがニュースを見ての最初の感想だった。そんなこと、専門家の誰も言っていなかったぞ。言っていた人がいたかもしれないが、ほとんど聞こえてこなかったぞ。しかし、何か事が起こったときはすでに後の祭り、というのがこの世の定めである。
その後の惨状は見てのとおり。ギリシャショックは他のユーロ圏諸国まで波及し、ユーロは暴落した。そうこうしているうちに米国経済にも急ブレーキがかかり、世の中は円の独歩高へ。円高に反比例するように株価は急降下し、一時は9,000円を割り込み、奈落の底。こうなれば、11,000円前後のときに株を買い込んだ私は身動きがとれない。毎日恐ろしいほどのスピードで目減りしていく我が資産をただ指をくわえて見ているしかなかった。このときつくづく思いましたね、「株は損切りがもっとも難しい」と。

現在も株価は低迷を続けていて、一向に回復の兆しがない。それに追い討ちをかけたのが、みんながこぞって投票した民主党である。私はもともと民主党なんぞにまったく期待していないが、ここまで能天気なアマチュアリズムを発揮して、国益を害するとは予測できなかった。「いまや日本は世界でもっとも間抜けな国家に成り果ててしまった。これじゃ株価が上昇するはずがないわな」と、今はただただ我慢の時期を過ごしている。

というわけで、株式相場で毎年年収並みの利益を出し、悠々自適のセカンドライフを送るという目論見は頓挫してしまった。しかし、下がったものは必ず上がるのもまた世の定め。いつかきっと……と夢を見ることくらいは許されるだろう。



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posted by ギャンブラー at 10:36| Comment(8) | TrackBack(0) | 裏道に咲く花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

皮肉な話

会社の業績は低空飛行のままで、冴えない日々が続いている。「景気は回復基調」などと能天気なことを言っているのは誰だ! 冗談も程々にしてもらいたいものだが、皮肉なことに、プライベートで行っている株式投資は絶好調というのだから、世の中おもしろいものだ。
具体的にどのくらい儲かっているかというと、この数ヵ月で投資額に対して20%超の利益が出ている。下手な投資信託などよりよほど効率がいいのではなかろうか。先日など、つい最近買ったある銘柄が、配当を得るための権利確定日に急騰したため、配当金を捨ててその日のうちに売り払って少なからぬ額の利ざやを稼いだ。翌日の権利落ち日に株価が急落したことを確認して、なんて自分は賢いんだろうとほくそえむ。このあたり、競馬で◎―○の本線を的中したときの高揚感に似ている。買えば儲かるのが当たり前、矢でも鉄砲でも持ってこいという気分になるんですね。
とはいえ、それが根拠のない驕りであることは重々承知していて、儲かっているときこそ脇を固めなければならない、と無意識のうちに自重するのは、過去に競馬でさんざん痛い目に遭っているからだ。

私の投資スタイルはたった二つ。一つは、リーマンショックに端を発する世界同時不況で、本来の実力に対して不当に値を下げている企業の株を買い込むこと。そういう会社の株価は、景気が回復すれば間違いなく上がる。だから、たとえ値が下がって含み損が増大しても、買って買って買いまくる。本来なら株価が上がるとうれしいものだが、私の場合は値が下がると「もっと買える」と思ってうれしくなるのだから、マゾといわれても仕方がない。あとは自然に値が上がるのを気長に待つだけだ。
しかし、こういう銘柄で利益を出すのは時間がかかる。その間は塩漬けとなるから、決して効率的な投資とは言えない。何といっても退屈だ。そこでもう一つのスタイルが、この不況下でも高値を維持している優良銘柄で勝負することだ。
といっても、この手の銘柄は総じて馬鹿高いから、何でもいいというわけにはいかない。そこで、1000円台の優良銘柄を探し出して、これに資金を突っ込む。人気銘柄だから株価は乱高下を繰り返して、その流れを読めば比較的簡単に利ざやを稼ぐことができる。「読む」といっても、私の場合はチャート図を見て「そろそろ売り時かな」とか「ここまで下がれば買いだ」という勘勝負。今のところはそれで十分だと思っている。

株で儲かるのはうれしいに違いないが、その使い道が思い浮かばない。そもそも、出不精で家にいるのが一番楽ちんという人間だから、お金を使う機会がないのだ。これには愕然とする。せいぜい老母に小遣いをあげたり、知人の女性と食事をしたり、スーツやネクタイをまとめ買いしたり、スーパーでこれまで買ったことのない高級果物を1個カゴに入れる習慣がついたぐらい。いずれも、儲かったお金からしたらどれほどのこともない。
というわけで、今の私に必要なのは、株の研究より上手なお金の使い方なのかもしれない。毎月の小遣を値切られてフウフウ言っている家庭持ちのサラリーマン諸氏、許されたし。
posted by ギャンブラー at 19:41| Comment(12) | TrackBack(0) | 裏道に咲く花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月31日

相場は意地悪

以前、このブログで私はこのように書いた。

含み益は含み益であって、株を手放さない限り架空の数字である。目先の利益を確定するために頻繁に売り買いするスタイルもあるのだろうが、仕事を持っていることもあって、私はそういうことはしない。というより、多少上がったとはいえ、こんな低いレベルの株価で手放すなどもったいない。なにしろ、半年後か1年後には倍の値段になっているはずだからである。そのとき初めて現金化することを考えようと思っている。

う〜ん、耳が痛い。実は先日、せっかく底値で買った株を全部手放してしまった。目先の利益に目が眩んでしまったのである。その結果、目をむくような大金ではないが、稼ぐとなると一苦労も二苦労もするような額のカネを手にした。しかししかし、その後も軒並み株価は上がり続け、今や私が手にした額の1.5倍にもなろうかという含み益を計上している。買えば下がり、売れば上がるのが相場だとは聞いていたが、その格言を身をもって体験したわけである。

なぜ株を売ってしまったのか。たしかに、株で儲けたカネを一度この手にしてみたいという気持ちはあった。さらに言えば、こんなに簡単に儲かるなら必死の思いをしながら働かなくても株だけで暮らしていけるのではないか、とチラリとでも思わなかったかというと嘘になる。
しかし、株を売ったことにはもっと強い理由がある。それは「退屈」である。もともと蓄財を第一の目的に株式投資を始めたわけではない。もしそうなら、上昇し始めたばかりの株を手放してしまうわけがない。金持ち喧嘩せずとばかり、そのまま何もせず、さらに上がるのをじっと待っていればいいのである。
ところが、私にはそれができなかった。株価が上がったり下がったりするのを指をくわえて見ているのが、手持ち無沙汰で仕方がなかったのである。競馬ならこんなことはない。勝ったり負けたり(最近は負けてばかりだが)、その場で決着がつく。命の次に大切な身銭が増えたり消えたりする(これまた最近は消えてばかりだが)スリルを毎週感じることができる。ギャンブルというのは、だから面白いのだ。そのスリルというかリスクを、ストレスで萎えた心にぶつければ、気の持ちようも変わるのではないか。そんなことを考えてしまったんですね。

では、売ってしまったあとどうなったかというと、もっと退屈になってしまったのだから皮肉なものである。そこで再び買おうとするのだが、最近は相場全体が不安定で、どの株でも買えば儲かるというような状況ではもはやない。それに、あまり馴染みのない銘柄に手を出すのはためらわれる。かといって、売った時より値を上げた同じ株を買うのは業腹である。そのうちさらに値を上げて、「ああ、多少高くても買っておけばよかった」と後悔する。ほんとに相場は意地悪である。
結局、いくつかの株を見つくろって買ったのだが、株価は一進一退で苦戦必至。ここは嫌でもじっと我慢して、化けるのを待つほかない。

その間の無聊を慰めるには、やはり競馬しかない。こんないい加減な姿勢で博打をしても負けることはわかり切っているのだが、今の私にはそれでも気分転換が必要だ。幸い、今日は日本ダービーである。このレースを買わずしてなんとする。
◎は皐月賞でまさかの惨敗を喫したロジユニヴァース。実は、ある著名な競馬評論家があの惨敗について陰謀説ともとれる面白い読みを披露しているのだが、それはともかく、あんな無惨な負け方をした馬がたったひと月半で変身するとは考えにくいし、精神的なダメージもあろう。しかし、前走は体調不良が全てと割り切りたい。体も戻ったようだし、追い切りも良かった。人気馬を負かすとしたらこの馬しかいない、と考えたい。内でじっと脚をため、直線早めに抜け出す競馬を期待する。相手は、人気どころに加えて、府中に適性がありそうな穴馬を少々。


レースを終えて
posted by ギャンブラー at 10:59| Comment(8) | TrackBack(0) | 裏道に咲く花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月29日

くわばらくわばら

本格的に株式投資をやり始めた、ということはすでに書いた。ある日突然、金儲けに目覚めたというわけではなく、たまたま、保険の満期金という小金がポンと目の前に現われたので、暇つぶしに株でもやってみるかと思ったのである。マーケットの環境が、株を始めるには最適の時期だという判断もあった。最近でこそ値を上げているが、ついひと月前まで株価はどん底で、何でもいい、目についた会社の株を買えば必ず儲かる状況だった。投資にリスクはつきものだが、これほどリスクの少ない投資環境というのも珍しい。

当然、私の買った数社の株も順調に値を上げていて、瞬く間に含み益が100万円近い額になってしまった。わずかひと月で利益が100万。3月期決算の会社の配当金も加えれば、さらに数万円上積みされる。銀行預金の利息とは比べるのもバカバカしく、競馬とはリスクの度合いが違いすぎる。なにしろ、その間私は何もしていないのだ。濡れ手で粟とはこういうことを言うのかと納得するとともに、これでは株で人生を狂わす人が今後激増するだろうな、と思った。

成功体験というのは大切だが、あまり簡単にそれを手に入れてしまうと、その後の身の処し方が難しい。リスクというものに対する感度が鈍ってしまうからだ。だから一度歯車が狂うと、過去の成功体験にこだわって、「こんなはずはない」とどんどん深みにはまっていくのである。
私は競馬で何度も痛い目に遭っているのでそんなウブな段階は卒業しているが、そんな私ですら、「株というのは簡単だな」と思い始めている。もし、ギャンブルなど一度もしたことのない主婦がいきなり株で小金を掴んだら……くわばらくわばら。

含み益は含み益であって、株を手放さない限り架空の数字である。目先の利益を確定するために頻繁に売り買いするスタイルもあるのだろうが、仕事を持っていることもあって、私はそういうことはしない。というより、多少上がったとはいえ、こんな低いレベルの株価で手放すなどもったいない。なにしろ、半年後か1年後には倍の値段になっているはずだからである。そのとき初めて現金化することを考えようと思っている。

とはいえ、これから何事もなく順調に株価が上がっていくかというと、そんなはずはないだろうと睨んでいる。もう一度、アメリカ発の金融危機が来るのではないか。あの天文学的な負債が消えてなくなるはずはないのだから。その時はその時。今の含み益も消えてなくなるが、株価がまた底を打ったとき、株を買い足せばいいだけの話である。儲けが1年ほど後にずれ込むだけのことである。

このブログは地の果ての辺境にあって訪れる人は少ないが、経験や才能という面では、一目も二目も置かないといけない人たちばかりだ。その中には、過去に株のプロとして切った張ったの修羅場をくぐってきた人もいる。そんな人から見ると、ウブな私の体験談は微笑ましい限りだろうが、ウブだからこその楽しみ方もある。特に、株をめぐる格言というのは極めて示唆に富んでいて、初心者にとって飽きることがない。こんなサイトもあるので、興味のある人は拳拳服膺していただきたい。私が株に魅せられる理由の一端がわかっていただけるはずだ。
posted by ギャンブラー at 11:03| Comment(16) | TrackBack(0) | 裏道に咲く花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月07日

カネの奴隷

土曜の朝10時頃、玄関のチャイムが鳴った。午前中に宅配便が届くことになっていたので誰何(すいか)せずにドアを開けると、そこには年配の落ち着いた感じの女性が立っていた。手には『あなたはお金の奴隷になっていませんか』というタイトルの冊子を持っている。どうやらある宗教の勧誘というか布教活動であるらしい。丁重にお断わりしてドアを閉めたが、冊子のタイトルがなぜか心に残った。自分はお金の奴隷になっていないのだろうかと――。

年明けからこれまで、会社の業績はあれよあれよという間に急降下。最初は呆然としていたが、突っ立っているだけでは状況が悪くなるばかり。あれやこれやと対策に手をつけ始めたのだが、業容拡大の場合とは違って、いかに出費を抑えるかという後ろ向きの対応が多くなるのはやむを得ない。その過程では、普段は潜んでいて見えない、あるいは見て見ぬふりをしている組織としての矛盾や軋轢がむき出しとなり、言いたくもないことを言い、聞きたくもないことを聞かなければならない。ストレスは膨れ上がり、頭の中は売上がどうの営業利益がどうの借入金がどうのという金勘定ばかりである。まさにお金というご主人様に鼻面を引き回されている感じ。これを奴隷と言わずして何と言う。

一方、先週から本格的に株式投資を始めた。15年前、生保のおねえさんの色香に惑わされて深い考えもなしに入った養老保険がめでたく満期を迎え、ある程度まとまったお金が手に入ったのである。ゼロ金利の今、そのまま定期預金するのも能がない。ここは一つ株で儲けてやろうと、山っけたっぷりで株に投資することにした。一瞬にして元金が吹っ飛んでしまう苛烈な競馬に比べると株は適度にヌルくて、歳をとってからの博打としては最適である。
実際にやってみると、これがなかなか面白い。前夜に指値で買いの指示を出し、帰宅して結果をチェックする。その日の安値とほぼ同額で約定したときは自分の先見の明に満足し、1円2円の差で成立しなかったときは落胆する。株価の推移も面白い。上げる要因、下げる要因が根拠のあるようなないようないい加減なもので、それに一喜一憂している私も含めた人間というものは、まさしくカネの亡者である。

生きている限り、お金を抜きにして暮らしは成り立たない。大金持ちだって、それはそれで庶民とは次元の異なる金の苦労というものがある。どうせカネと縁が切れないのなら、奴隷と言われようと亡者になろうと、その世界にどっぷり浸かってやろうという生き方を選ぶか、自分の欲に見て見ぬふりを通すか。どちらが幸せかわからないが、とりあえずは株をめぐるドタバタの一部をこれからお見せしようと思う。期待されたし。
posted by ギャンブラー at 17:00| Comment(8) | TrackBack(0) | 裏道に咲く花 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする