2019年01月05日

奇跡の書

年末年始は主に読書をして過ごした。いろいろ文句はつけるものの、私は基本的にテレビが好きなのだが、さすがに昨今の年末年始番組はマンネリの極致で、見ようという気がてんで起こらない。

人通りの絶えた街路、その一角に建つマンションの静かな部屋で、ホットカーペットに寝転びながら読んだのは、山田風太郎の『八犬傳』。これはご存知、江戸後期の戯作者・滝沢馬琴の『南総里見八犬傳』のリメイク版だが、山田風太郎だけにただのリメイクではない。全98巻、106冊という常識はずれの伝奇小説のエッセンスを新たに小説に仕立てながら、それを書いていた頃の馬琴の暮らしぶりを小説と交互に描写するという、斬新な趣向を凝らしている。これによって、おそらく全巻を読破した人は皆無と思われる『南総里見八犬傳』を楽しめるとともに、世界で初めて作家(戯作者)という職業を確立した馬琴の人柄を知ることができる。

それにしても、滝沢馬琴という人物は、ある種の怪物である。性格は謹厳実直で完璧主義者、さらに粘着気質。困ったことに、それを家族を含め他人にも要求するため、対人関係でいつもトラブルを抱えている。
どれだけ完璧主義かつ粘着質かというと、毎日のお金の出入りから始まって、天候、出来事を実に事細かに記しているのだ。例えばこんな調子である。「沢庵漬け三樽、内一番は当座食六十本、ぬか三升塩一升八合。二番は百本、ぬか五升、塩六升八合、三番は八十本、ぬか三升塩六升五合、右三樽、お百お路(妻と息子の嫁の名前)両人にて漬け終わる。残り四十本はぬかみそに入る」。天候も一刻(約二時間)ごとの変化を記す。これを毎日欠かすことなく続けるのである。『南総里見八犬傳』にしても、物語だけをとれば10分の1程度で済むのに、合間合間に注釈や説教が長々と入る。そのため、完成までに28年もかかっている。これほどの粘着気質の人物は古今東西を探してもいないのではないか。

そんな人物がなぜ八犬傳のような奇想天外な物語を思いつくのか。友人として登場する葛飾北斎も首をひねり、山田風太郎は「奇跡としか言いようがない」と書いている。同時に、滝沢馬琴は「作話症」というある種の精神病ではなかったかと推論している。
何はともあれ、この『八犬傳』は実に面白い。種本の『南総里見八犬傳』に至っては、今の出来のいいファンタジー小説と比べても何ら遜色がないばかりか、着想そのものは現代作家を軽々と凌駕している。1800年前期にすでにこんな物語を書いた作家がいたという事実に、ただただびっくりすると同時に、日本人の端くれとして誇らしく思うのは私だけではないだろう。ぜひご一読を。


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2018年11月10日

50年後の世界


何年か前に稲田某とかいう防衛大臣に就いた勘違い女を筆頭に、カネにルーズな片山地方創世担当相、そして頭のネジが緩んでいるとしか思えない桜田五輪相と、まあ安倍さんのお友達にはもよくぞここまで出来の悪い人物が揃っているものだと、逆に感心するが、今さらそのことを嘆いても仕方がない。そんなパロディーを前に私が考えていたのは、全く別のことだ。
それは、ホモ・サピエンスとは何者か。なぜこの程度の生き物が他の動物を家畜化し、思うままに命を奪い、その肉を食らう権利があるのか・・・とまあ、そんなことである。その問いに対して真正面から答えている書物が、実はある。

2016年に日本語訳が出たハラリ著『サピエンス全史』は読書界に衝撃と賞賛の嵐を巻き起こした。私自身、これほど知的興奮を喚起させられた書物は記憶にない。
ごく簡単に内容を紹介すると、数ある人類のうちの負け組であったホモ・サピエンスは、今から7万年前、遺伝子の突然変異か何かによって、虚構を物語り大勢で共有する能力を得た。この「認知革命」によって、神話や宗教、政府、法律、企業、貨幣といった想像上の秩序を生み出し、その力によってあっという間に他の人類を駆逐し、動物を家畜化したり絶滅に追い込むなど、地球上で最強の種となった・・・というもの。

最近発行された続編の『ホモ・デウス』は、さらに衝撃的な内容だ。デウスとは「神」の意で、認知革命と、それに続く農業革命、科学革命によって「人間至上主義」に行き着いたサピエンスは、遺伝子工学とナノテクノロジーを駆使して「不死」と「超知性」を目指すようになる。その結果「第二の認知革命」が起き、卓越した肉体と知性を兼ね備えた「超人類」の出現によって、旧来のホモ・サピエンスは、かつて自身が駆逐した他の人類や動物と同じ運命を辿る・・・という内容。

そんな世界に向けて、現実は着々と進んでいる。おそらく今から50年後、遅くとも100年後には、かつてサピエンスが経験したことのない世界が広がっているだろう。そこでは、「個人」「自由」「民主主義」といった言葉は死語となり、それどころか、サピエンスは劣った種として家畜並みの地位に甘んじているかもしれない。そのときすでに私は存在していないからどうということはないが、40代以下の人たちは、歳をとってから嫌でもそうした現実に向き合うことになるだろう。個々の人にできる対策はほとんどないから、気の毒というしかない。
それを思うと、政治家と呼ばれる極東のホモ・サピエンスたちのドタバタ劇すら愛おしくなるではないか。


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2018年01月30日

良書


年が明けたと思ったら、いきなりバタバタ・アクセクが始まり、そうこうしているうちにもう2月である。最近は、朝目覚めると心が陰鬱な気分にひたされていて、溜息とともに起き上がる日が続いている。つい先日、テレビかラジオで「血圧サージ」について話していた。これは高波のような血圧の急変動のことで、次のような要件を満たすとき、脳卒中や心疾患などの重篤な病気を引き起こすリスクが高まるらしい。

・冷え込んだ朝、暖かい家から外に出るとき
・休み明けの月曜の朝、仕事に強いストレスやプレッシャーを感じるとき

う〜ん、自分のことではないか。こんな幸薄い生活を送っていると、自分が何のために生きているのかわからなくなる。

そんな中にあって、唯一、人間らしい文化的な行為が読書である。しかし、最近は面白さに我を忘れて読むというより、こうべを垂れて考えさせられる本を読む機会が増えた。興味の赴くままに本を選んでいたら、自然とそうなってしまったのである。

例えば『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること 』(講談社現代新書)。これを読むと、日本はもう終わっていることがよくわかる。何も悲観的な気分で言っているのではない。人口の推移という客観的で冷徹な数字が、消滅に向かって猛スピードで突き進む日本の姿をくっきりと浮かび上がらせているのだ。この本によると、200年後か300年後には日本の人口は2000人になるそうである。2000万人ではない、念のため。もちろんそのときには日本は日本でなくなっているだろうが、そこに至るまでの長い間に起きる修羅場を考えると……。「まさか」と笑い飛ばせる能天気な人は幸いである。私には、若い知人・友人、そしてその子供たちが不憫でならない。

『お金2.0 新しい経済のルールと生き方』(NewsPicks Book)も考えさせられる本である。インターネットは第一次産業革命に次ぐ大変革を社会にもたらしつつあるが、とりわけ経済分野は、これまでとはまったく違った世界に変貌しようとしている。最近ニュースで騒がれている仮想通貨もその一つだが、その本質を正確に理解している人はほとんどいない。まして、変革のどさくさにうまく立ち回って小金を手にしようというような低次元の話ではない。お金について考えるということは、いかに生きるかを考えることに他ならないと痛感させられる。

こんな肩の凝る本の合間、気分転換のために読んでいるのが『ギリシア人の物語』である。今から2500年も前に民主主義という政体を編み出した古代ギリシアのアテネ人。中でもアテネの黄金時代をつくりあげた政治家・ペリクレスの民主主義に関する演説は、もう見事というしかない。日本の国会議員や地方議員に、この演説の全文暗記を義務づけたらどうかと思うほどである。『ローマ人の物語』で堪能した塩野七生節も健在で、こういうものを良書というのであろう。『ギリシア人の物語』と『ローマ人の物語』を合わせると全30巻近くになるが、それにかける時間は決して無駄にはならない。友人や知人にそう力説するのだが、実際に読む人は皆無である。当時から2500年経って科学技術は進歩したが、人間は置いてきぼりを食っている。というか、どんどん後退していると思うのは私だけだろうか。


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2016年11月13日

最近読んだ本


侠飯
テレビドラマ化されたのでご存知の人もいるかもしれない。私もドラマを観て面白そうだと思って読んだのだが、軽〜いエンタメ料理本かと思いきや、現代の社会問題を正面から取り上げた硬骨小説である。しかも随所に旨そうな料理のつくり方が解説されている。シリーズで3冊出ているが、続編が待ち望まれる。

終わった人
銀行の系列会社を63歳で停年退職した男の「第二の人生」を巡る奮闘劇。著者は女性だが、まだまだ欲も見栄もある初老の男の心理をよく描いている。高齢化が急ピッチで進む現代にあって、「人生の終章をいかに生くべきか」を考えさせられる物語だ。単なるハッピーエンドでないところにも、余韻がある。

生きるぼくら
こちらは母子家庭で引きこもり青年の再生劇。物事が猛スピードで変化し、その変化とスピードについていけない者は切り捨てられる社会の中で、本当に幸せな人生とは何かを問いかけている小説だ。必死に就活している学生に向かって、「今、隆盛を極めている会社に入っても、20年後には消滅しているかもしれないよ」とアドバイスしたくなる私のような偏屈者の思いを代弁してくれていて、思わず膝を打つ。


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2016年09月13日

流星ひとつ


3年前の夏、元有名演歌歌手が新宿のマンションから投身自殺をした。異様とも言えるほど整った、それでいて怜悧な顔立ちと、そこからは想像すらできない野太い歌声が、今も私の脳裏にくっきりと刻み込まれている。その歌手、藤圭子は、私にとってずっと理解の外にある存在だった。テレビでいくら彼女を見ても、歌を聴いても、あるいは断片的に伝わる生い立ちに接しても、いや、そうすればするほど、彼女という人間がわからなくなった。いったい何を考え、何を喜び、何を悲しみながら生きているのか。その手がかりさえ掴めない、異界に住む人間。それが藤圭子だった。そのうち名前を聞かなくなり、私も思い出すことはほとんどなくなってしまった。彼女が高層マンションから身を投げるまでは……。

ところが今年8月、新潮文庫から出版された一冊の文庫本で、再び私は藤圭子について新たな事実を知ることとなった。その内容は、私にとって衝撃的で、読んでいて何度も鳥肌が立った。それと同時に、それまで立ちこめていた霧が引き、隠れていた彼女の風貌がくっきりと輪郭まで見えように感じた。

沢木耕太郎著『流星ひとつ』。この本は、今から37年前の1979(昭和54)年、引退を決意した28歳の藤圭子に、新進気鋭のノンフィクションライターで31歳の沢木耕太郎がインタビューを行い、その内容をそのままの会話体でまとめたものである。予定ではすぐ新潮社から出版されることになっていたが、沢木のある思いからお蔵入りとなり、その後日の目を見ることはなかった。長時間のインタビューに応じてくれた藤圭子に対し、沢木はお詫びの印として、手書きの原稿を1冊の本にまとめて、アメリカに住む彼女に贈ったという。

そこで語られている藤圭子の人生は、ある面では私の予想通りであり、同時に想像をはるかに超える姿を露にしている。これから読む人のために詳しい内容は書かないが、インタビューを読み進むにつれ、藤圭子という稀有の女性に対する尊敬と哀切の念がわき上がるのを禁じられなかった。
本来人の目に触れることのない運命にあったこの本が上梓されたのは、彼女が長年にわたって精神に異常をきたした結果、自殺をしたことが契機となったからで、それは皮肉としか言えないが、一旦お蔵入りにした作品を敢えて出版しようとした沢木の思いもまた、痛いほどわかる。

久々に、心にズシンとくる本を読んだ。

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2015年01月10日

快作


電子ブックで読書を始めて丸2年になる。この間に読んだのは211冊で、1109時間かけたとデータが出ている。つまり年間約100冊、500時間を読書にかけていることになる。まぁ本を読んでいるほうではなかろうか。

電子ブックのよいところは、好きな時に好きな本を読めること。こっちの本を読むのに飽きたら、あっちの本を呼び出して読む、なんてことが電車の中でも簡単にできる。紙の本だとこうはいかない。特に、持ち物を極力減らしたい出張時には重宝する。
もう一つの利点は、読みたい本があったらその場でダウンロードして、3分後には読み始めることができること。せっかちな私にはもってこいである。
さらに、紙の本と比べると格段に安く購入できるのも魅力だ。紙の本に比べて元々割安な電子書籍を、さらに2割引き3割引きで手に入れることができるのだから、お得感が半端ではない。

とはいえ、すべての本が電子書籍化されているわけではない。いずれは電子化されるのだろうが、とてもそれを待っていられず、すぐ読みたいという本もある。そうやって書店に買いに走った本のうち、去年のベスト1がこの本だ。
著者の小泉武夫氏は、言わずとしれた発酵学の権威。『くさいはうまい』など発酵食品に関するたくさんの著作があるが、その中でこれがピカイチである。実は私は小泉先生に一度会って話を聞いたことがあるが、テレビで見る通り、ふっくらとした福相で性格明朗、皮膚もテカテカと光っていた。

そんな小泉先生と思われる主人公が、阿武隈の山奥に住む知り合いの猟師「義っしゃん」を訪ねるところから、この物語は始まる。義っしゃんの圧倒的な存在感と、次々と繰り出される生活の知恵には目を見張るものがあって、読み出すと止まらない。また、義っしゃんを前に、小泉先生が都会での生活のせわしなさ、息苦しさを嘆くくだりに、何度もうんうんと頷いてしまった。あのエネルギッシュな先生でさえ、そんな辛さを抱えながら俗世間を生きている。そのことにちょっと救われる気がしたのである。

それやこれやも含めて、本書がまれに見る快作であることは間違いない。ぜひご一読を。ちなみに、最近電子化もされています。


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2014年09月21日

最近読んだ本


人が集まればいろいろなことが起こる。ましてそれが利益を追求する企業組織であれば、時として反目や疑心に捕われることもある。そんなことに関わりながら忙しい日々を過ごしていると、あっという間に秋が来て、そのうち冬になる。「何をやっているんだろう」−−そんな虚しい気持ちに染められがちな心を慰めたり、新たな光明を見出すのが、読書だ。とりわけ宮本輝は私の好みの作家であって、1行1行を慈しみながら読み進める作品が少なくない。

最近読んだのが、『水のかたち』。平凡な50歳の主婦が、ひょんなことから骨董の世界に引き寄せられ、さまざまな人との出会いによって新たな人生を切り開いていく物語で、ある種のファンタジーなのだが、生き方の基本を改めて考えさせられる作品である。このほかにも、『森の中の海』『三十光年の星たち』『三千枚の金貨』などの作品には深く心を慰められた。以前取り上げた『草原の椅子』と並んで、秋の夜長に自信を持ってお勧めしたい小説群である。

もう1冊、感銘を受けたのが『里山資本主義』というビジネス書だ。『デフレの正体』で衝撃を与えた藻谷浩介氏の著で、世界を覆う弱肉強食の論理「マネー資本主義」の限界とその打開策を、さまざまな具体例を紹介しながら提言している。現政権(既得権益層)を支えている金融緩和を推進するリフレ派と呼ばれる人たちから目の敵にされているようだが、恐ろしいほどのスピードで人口が減少していく日本の将来のあり方を、納得できる形で描き出しているのは、私の知る限り、この書くらいだ。どんどんお札を刷りまくって世の中にばらまけば景気が良くなるという、あまりにも能天気な現在の経済政策がいずれ破綻するのは目に見えている。「その時」に備えて準備をするためにも、一読の価値がある良書である。


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2013年10月27日

価格破壊

ミレニアム第一巻』(上下)1680円→1143円→571円
『ミレニアム第二巻』(上下)1848円→1143円→643円
ロスジェネの逆襲』1575円→1200円→720円
赦す人』1995円→1520円→760円

実はこれ、最近購入した本の一例である。そして右側の値段は、紙の書籍→電子書籍→電子書籍の割引価格となっている。ただでさえ電子書籍は紙の本に比べて割安なのに、しばしば行われる値引きセールを利用すると、紙の本の半分〜3分の1の値段で購入することができることになる。
ご存知のように、本の価格は定価販売を義務づける再販制度によって値引き販売は禁じられている。しかし、電子書籍はその対象にはなっていないらしく、毎日のように楽天からメールでクーポンという名の値引き販売のお知らせが届く。届けば、私とて人の子だから、みすみす定価で買う気は起こらない。従って、最近では3割引き、4割引きの値段でしか本を買わなくなってしまった。

こんなに得をした、こんなに本を安く買って儲けた、という話をしたいのではない。かくのごとく書籍の価格破壊が猛烈な勢いで進行しているのに、電子書籍で本を購入する人はまだまだ少ないため、それほど騒がれていない。本当にこのままでいいのだろうか、と心配しているのである。

この現象は、いずれ出版業界を揺るがす大問題に発展するはずである。書籍の価格破壊が起これば、出版社や書店の経営が立ち行かなくなるばかりではない。作家という職業が成り立たなくなる可能性すらあるのだ。そう危惧するのは、紙に印刷した本で育ってきた旧世代の発想であり、書籍の電子化によって読者にも作家にもメリットをもたらす新しいビジネスモデルが生まれ、旧弊な出版業界が活性化されるという前向きな見方もあろう。紙の本から電子書籍に「転向」した私には、どちらが正しいのかわからない。

町の本屋さんが消えていくことを憂えたatoさんのブログを読んで、上記のようなことを紹介してみたくなった。




天皇賞予想
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2013年06月18日

出会い

私のような出不精の人間が歳をとると、新しい出会いなどというものはほとんどない。それでもそこそこ世間のことがわかるようになったのは、仕事でさまざまな人と出会い、いろいろな経験をしてきたからだ。私は人見知りするたちなので、人と会って話をするのは憂鬱で苦痛を感じることが多いが、では人と没交渉の人生のほうが良かったかというと、もちろんそんなことはない。あまり気が進まないながらも、人と会い、人と話すことで、いくらかでも人間が磨かれてきたように思う。
しかし、仕事で会う人は限られているし、しかもそのほとんどは「サラリーマン」というカテゴリーに属している。正直言って、あまり代わり映えがしない。事実、会ってみて事前の予想をひっくり返された、というような型破りの人物はほとんどいない。本当はこちらの想像を上回るような人がいるのかもしれないが、仕事で特定の目的を持って会う以上、どうしても表面的なコミュニケーションにとどまってしまうのは致し方なかろう。

そんな中で、普通こんな人と出会わないだろうと思うような人を知り、その行動や思想に接することができる唯一の機会が、読書である。その中でも、とびっきりの異才であり偉人である人物を二人紹介しようと思う。いずれもここひと月ほどの間に読んだ本の主人公である。

■百田尚樹著『海賊とよばれた男(上・下)』(講談社)
百田尚樹といえば『永遠の0』の著者として知られるベストセラー作家である。『海賊とよばれた男』もまた、『永遠の0』と並ぶ傑作であることは保証できる。出光興産創業者の出光佐三をモデルにした史実に基づくこの物語は、「巻を置く能わず」という古い比喩がぴったりくるほど面白い。こういうリーダーと、彼を支える有能で誠実な人々が戦後日本の成長を支えてきたのだ、と思い知らされる。それに引き替え今の人間は……などと愚痴は言うまい。自分もその一人なのだから。

■石川拓治著『奇跡のリンゴ』(幻冬社)
リンゴ農家・木村秋則氏が想像を絶する苦闘の末に、絶対不可能と言われていた無農薬・無肥料でのリンゴ栽培に成功するまでを辿ったノンフィクション。たった今、「それに引き替え今の人間は…」と言った舌の根も乾かないうちに、「現代にもこんな凄い人がいるんだ」と感心、というより慄然とさせられるような驚くべき実話が次々と展開する。まるでサスペンスのような緊迫感に時の経つのも忘れるほどだが、その読後感には、清々しさと同時に、ズシンと心にこたえるものがある。

私にとって読書は、読む喜びと思索を同時にもたらしてくれる人生の指南役である。あだやおろそかにできるわけがない。




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2013年01月13日

本の虫

本の虫、というほどではないが、常に手許に本がないと落ち着かないタチである。仕事を終えて帰宅し、ホットカーペットの上に寝転んで読書をする。それが何よりの楽しみという人間なのである。
そんな私にとって、ずっと気になっていたのが、電子ブック。アマゾンのKindleが発売になって、にわかにこの業界が慌ただしくなってきた。スペックを調べてみると、なかなかのもの。肝心のディスプレイはE-Ink社の電子ペーパーを採用しており、バックライトの発光で表示する液晶ディスプレイに比べて目が疲れにくいという。また、これ1台あれば約1000冊を収納することができる。microSDカードをセットすればなんと3万冊まで収納可能だという。重さも200g弱だから、通勤時や出張時もかさばらない。
これは一度試してみる価値がありそうだ。そう思ったら矢も楯もたまらず、ネットで取り寄せてしまった。購入したのはKindleではなく、楽天が発売しているkobo glo。こちらもKindleとほぼ同等の性能である。値段は7,980円。何万円もするものならともかく、期待外れでもさほど後悔しなくていい値段である。
わざわざそんなものを買うくらいなら、スマホかタブレット端末を買えばいいのに、という人もいるだろう。私もそれは考えた。しかし、私は本が読みたいのである。読書だけに特化した電子ブックリーダーのほうが、私のニーズに合致する。

kobo

さっそく電子ブックをダウンロードしてみた。文庫の新刊本は紙の本の値段と変わらないようだが、単行本は紙より200〜300円安い設定になっている。品揃えも知らないうちにずいぶん豊富になっている。新刊本は基本的に電子ブック化されているようである。
気になっていたディスプレイであるが、紙の本に比べればさすがに劣るが、読み辛いということはまったくない。最近老眼が徐々に進行してきた身にとって、フォントの大きさが自在に変えられるのもうれしい。また、一度フル充電すれば何週間も保つのがいい。たった1日で電池切れになってしまう欠陥商品としか思えないスマホには真似ができまい。

ちなみに、写真のコンテンツは、『孤独のグルメ』でブレイクした久住昌之原作の『花のズボラ飯』。マンガ本など買ったことのない私にとって、電子ブックでなければ読むことはなかったかもしれない。さすがにこのサイズでマンガを読むのは辛いが……。

それにしても、世の中、変われば変わるものである。この技術革新の行き着く先に何が待ち受けているのか、それが果たして我々に幸せをもたらしてくれるのか、それはわからないとしか言いようがない。ただ、今のところは、変化の波に乗って新しい経験に身をゆだねるのが21世紀に生きる人間の定めなのかもしれない、と思っている。




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2012年10月14日

最近読んだ本

■『無理』奥田英朗著・文春文庫
奥田英朗は、出せば売れる東野圭吾などより好きな作家である。とりわけ彼の「下流文学」と称される作品群に引きつけられる。その代表作が『ララピポ』だが、本書もまた一種の下流文学である。
舞台は北関東か南東北を連想させる、市町村合併で生まれた地方都市・ゆめの市。登場するのは、県庁から出向している生活保護担当の公務員、東京に憧れる女子高生、引きこもりで家庭内暴君の無職男、暴走族上がりの悪徳セールスマン、新興宗教にすがる中年のバツイチ女性、県議会議員を目指す市議会議員、といった面々。彼らの日常と、破滅に向かう道どりを奥田は容赦ない筆致で描いていく。一見、平和な日本だが、一皮むけば、たちまち目を覆いたくなるような救いのない日常が隠されている。特に、疲弊した地方都市は、それがより先鋭な形となって現れる。
「下流」とは、経済的敗者というだけでなく、モラルもモラールからも遠いところにある精神的敗者のことである。それが格差社会によって増殖していく。その恐ろしさ、救いのなさ。『ララピポ』と一緒に読むと、そのことがさらに身に迫って感じられるだろう。

■『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』鯖田豊之著・中公文庫
atoさんのブログで紹介されていて、面白そうなので読んでみた。
まず、一つのエピソードが紹介される。パリを訪れた日本人が、ある会食に招待されたところ、豚の頭がそのまま食卓に出された。「どうもこういうのは残酷だなぁ」と躊躇する彼に向かって、一人のお嬢さんが、「あら、牛や豚は人間が食べるために神様がつくって下さったものだわ」と答え、まったく躊躇する様子もなく豚の頭をナイフで削り取って食べていた。それを見て、「日本人は昔から生き物を憐れみました。小鳥くらいなら頭からかじることはありますが」と言うと、「まあ、あんなやさしくて可愛らしい生き物を食べるなんて、なんて日本人は残酷なの!」と、周囲の御婦人たちから一斉に非難された。
いったい、この彼我の断絶はどこから来るのか。その疑問を、著者はヨーロッパの気候とそこから来る食文化に求める。詳しくは本書を読んでいただきたいが、まさに目から鱗が落ちる謎解きが続出して、一気に読み終えた。今から半世紀も前に書かれたものだが、まったく色褪せていないどころか、西欧からもたらされた「自由と平等」「多数決主義」の本当の意味がわかって、我々が次の選挙に臨むにあたっても参考になるだろう。



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2012年05月19日

最近読んだ本

■『あんぽん 孫正義伝
孫正義――。私が知っているのは、
・スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツと親しいソフトバンクの創始者
・ITによって世界を変えようとする「IT教」の教祖
・M&Aによってのし上がったやり手のビジネスマン
・Twitterのフォロワーが日本一
・3.11にあたって100億円の私財をポンと寄付した、日本有数の富豪
・在日韓国人
といったところだろうか。
しかし、そういう皮相的な知識を根底から覆されたのがこの本。豚の糞尿にまみれた掘っ建て小屋で、泥水をすすりながら養豚と密造酒の製造でその日暮らしをする“朝鮮部落”から身を起こし、一代で日本有数の富豪にのし上がったこの人物の軌跡には、ただただ圧倒されるばかり。この本を読めば、なぜこのような破天荒な人物が生まれたのか、その背景がよくわかる。そして、今の日本人からはこういう人物は金輪際生まれないことも思い知らされる。
著者は、ノンフィクションを書かせたら右に出るもののいない佐野眞一。その彼が、ある意味で怪物のような人物とその周辺を徹底的に取材して書くのだから、面白くないはずがない。久々に夜を徹して読んでしまった。

■『ふしぎなキリスト教
鉄筋コンクリートの家に住み、洋服を着て、家電製品に囲まれ、パンや肉を常食する。車や電車や飛行機に乗って移動し、携帯やスマホで自由に会話する。資本主義社会に身を置き、お金はATMからおろし、インターネットを通じて買い物をする。
私たちが普段意識することなくやっているこれらすべてのことは西洋文明によってもたらされたものだ。そして、その西洋文明(自然科学)は西ヨーロッパを発祥の地とする。西ヨーロッパとは、キリスト教文化圏。つまり我々の生活は、意識するとしないとにかかわらず、キリスト教文化によって規定されているといっても過言ではない。それにもかかわらず、日本人の多くは、キリスト教のことをほとんど知らない。少なくとも私はそうだ。例えば、
・ユダヤ教とキリスト教は何が違うのか
・神との契約とは何なのか
・旧約聖書と新約聖書には何が書かれているのか
・イエスは人なのか神なのか
・イエスの復活にどんな意味があるのか
・なぜ偶像崇拝がいけないのか
・三位一体とは何なのか
これらの疑問に答えられる人はいるだろうか。こんな、日本人の多くが疑問に思っていても、今さら人にも聞けず、疑問のまま放置していることを懇切丁寧に、わかりやすく解説したのがこの本だ。内容がすべて正しいのか間違いがあるのか、私にはわからないが、キリスト教の入門書としては最適の書だと思われる。




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2012年05月03日

安住を求めるな

四捨五入すれば60という歳にもなると、「第二の人生」という言葉がちらちらと脳裏をかすめ始める。ちょっと前に30歳、ついこのあいだ40歳になったばかり……といえば図々しすぎるが、心の持ちようはその頃とさほど変わっていないように思う。それだけに、世間から「老人予備軍」と見られている自分を受け入れられないというか、持て余しているのが、今の私の正直な気持ちである。
それに、「第二の人生」などと言われても、何が始まるというのだ。何を始めればいいのだ。これまで何十年も仕事中心の人生を送ってきて、それが突然なくなったとき、日々の暮らしの軸になるのは何なのだろう。趣味? それは人並みにあるつもりだが、忙しい仕事の合間にやるから面白いし、熱中するのが趣味ではないか。突然、一日の大半を趣味に費やしていいですよと言われたって、そんな暮らしが果たして面白いものだろうか。

一方で、仕事の苦労から一切合切解放されることを想像すると、言いようのない安堵感に満たされることも事実である。会社の業績に気を揉むこともなければ、銀行からの借入金の返済に四苦八苦することもない。客からのクレームに冷や汗をかくこともなければ、出来の悪い部下に怒りを溜め込むこともない。なんと幸せなことだろう。そういう状態を空想すると、60歳と言わず今すぐ引退してもいいとさえ思う。
しかし、その幸せは3ヵ月と続かないような気がする。そんな安穏な暮らしが半年、1年、2年と続いたとき、果たして自分は幸せでいられるのだろうか。毎日生き生きと面白おかしく暮らせるのだろうか。自信は、ない。
そんな未来の予行演習とも言うべきゴールデンウィーク。その中日にそんなことをぼんやりと考えながら本を読んでいると、次のような箴言が目に飛び込んできた。

苦しみつつ、
なおはたらけ、
安住を求めるな、
この世は巡礼である。


山本周五郎が生涯座右の銘とした戒めで、スウェーデンの劇作家ストリンドベリの言葉が出典らしい。やはりそうなのか。いくつになっても安住を求めてはいけないのか。安穏な老後など望んだところで、心が満たされることはないものなのか。がっかりする一方で、ちょっと安堵する部分もある。そのあたりの微妙な心模様は、四捨五入すれば60の歳になってみて初めて腑に落ちるものなのかもしれない。

ちなみに私が読んでいたのは、風野 真知雄著『大江戸定年組』。隠居した幼なじみの同心と旗本、商人の三人が江戸の町で「第二の人生」を始める物語である。実に面白いシリーズ物だが、そもそもこの小説を読み始めるきっかけとなったのが、有川浩著『三匹のおっさん』である。こちらは現代が舞台だが、設定は瓜二つ。面白くて面白くて、早くも今年イチオシの小説である。私の目利きが信頼できると思われる人は、ぜひ一読を。




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2011年12月11日

今年読んだ本

「読書家」と言われるほど本は読んでいないが、それでも身の回りに常に本がある生活を、学生時代から今に至るまで送っている。ほとんどが暇つぶしの乱読ではあるが、時に読後の興奮でなかなか寝つけなかったり、心の襞に分け入ってきた余韻を噛み締めるような本に出会うこともある。そんな本のいくつかを書き留めておきたいと思う。

■みをつくし料理帖(高田郁著、ハルキ文庫)
時代小説と料理小説という、私の好みを完璧かつ同時に満たしてくれる佳品。手間ひまをかけてとった和風だしのように上品な、それでいて一本芯の通った風味に、冷たく凝り固まった心が自然にほころんでくる。不幸な星の下に生まれた上方の少女が、江戸の下町で料理人として成長していく青春小説として読むこともできる。短編構成となっていて、あっという間に読み終わってしまうが、こんなに速く読むんじゃなかった、もっとゆっくりと味わいながら読まなきゃと思わせるイチオシの小説だ。シリーズになっているので、最初から順番に読んでいただきたい。

■ハイペリオンシリーズ(ダン・シモンズ著、早川文庫)
SFファンなら誰でも知っている傑作だが、シリーズを通して読んだ人がどれだけいるだろうか。「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の四部作からなり、それぞれ文庫本で上下2冊という大作である。最初の「ハイペリオン」を読み終えるのが少々骨だったが、あとは一気呵成に読み終えたというか、次を読まなくては夜も日も明けない思いにさせられた。ひと言でいえば、人類とAI(人工知能)との戦いの物語だが、ホラー、ハードボイルド、冒険、ファンタジーなどさまざまな要素がぶちこまれており、これぞ究極のSFと思わされる。

■プラチナタウン(楡周平著、祥伝社文庫)
「日経ビジネス」を読んでいて、衝撃的なグラフを目にした。2065年には日本の生産年齢人口が5割を下回り、2100年には総人口が4771万人まで減少するというのだ。超高齢化社会がすでに始まっていることは重々承知しているが、改めてグラフで示されると空恐ろしくなる。産業構造が激変し、国家財政は破綻、社会福祉制度も崩壊、政治家と官僚は国民のことなど眼中になく自らの生き残りに必死、日本は三等国に落ちぶれてしまう……というシナリオがますます現実味を帯びてきている。最後は落ち着くところに落ち着くのだろうが、その間に我が国がくぐり抜けなければならない厳しい試練と、その影響をもろに受ける今の子どもたちのことを思うと、暗澹とした気持ちになる。そんな暗い将来に一条の光を照らしているのが、この小説である。大手商社を追われた一人の男が財政破綻寸前の郷里の町の町長になり……という物語で、高齢化社会に対処する一つの有効な方法が提示されている。一読の価値あり。

■笑酔亭梅寿謎解噺(田中啓文著、集英社文庫)
上方落語の大看板・笑酔亭梅寿のもとに無理やり入門させられた、金髪とさか頭の不良少年・竜二。ハチャメチャで破滅型の師匠の元で、理不尽な扱いに耐えつつ、古典落語の魅力に取り憑かれ成長していく青春小説である。難しいことは考えず、ただ楽しんで読めばいい。シリーズになっているので、まずは「ハナシがちがう!」からどうぞ。



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2008年08月17日

禁断の書

世は「環境」一色である。とりあえず「エコ」と叫んでおけば、すべては許される。私は常々、こうした風潮にうさん臭さを感じていたが、「あなたはなぜ環境にやさしいエコを攻撃するのか」と難詰されると、正面切って反論するだけの根拠を系統立って示すことができず、非常にもどかしい思いをしていた。それに、昭和30年代初期に生まれた私は節約の美徳を当然の価値観として叩き込まれた最後の世代であるから、「環境にやさしい生活を心がけましょう」「無駄遣いをやめて省エネに貢献しましょう」というスローガンには弱い。「そうじゃなくて、今のエコは上辺だけで…」と反論しようとするのだが、その前にいいしれぬ罪悪感を感じて口をつぐんでしまうのだ。

そんな私にとって、待望の書が出版された。それが武田邦彦著『偽善エコロジー』である。この本を手にしたとき、「日本が憲法で出版の自由を保障している国でよかった」と心底思った。しかし一方で、これだけエコ万能の時代にあって、この書はある種の“禁断の書”として過剰かつ感情的な攻撃を受けるのではないかと恐れた。そう思わせるほど、その内容が衝撃的なのだ。この本を読むと、今まで我々がやってきたことがいかに無意味であったかを思い知らさせる。それは多くの善良な人にとって、我慢できないはずだ。例えば、著者は次のように断定する。

レジ袋を使わない→かえって環境に悪い
割り箸追放運動→日本の森林を荒らし、中国の森林を破壊した
古紙のリサイクル→かえって環境に悪い
ペットボトルのリサイクル→かえって環境に悪い
空き瓶のリサイクル→かえって環境に悪い
ゴミの分別→無意味
生ゴミを堆肥にする→かえって危険
石油をやめバイオエタノール→ただのエゴ
ダイオキシンは有害→危なくない

これらのすべてを鵜呑みにするのは危険だと思うし、他の専門家による検証も必要だろう。また、「日本がいくらCO2の排出を減らしても、世界のどこの国も減らそうとしていないのだから、無意味」という著者の主張には同意しかねる。しかし、私が見る限り、総じて著者は科学的で客観的な視点から、これまで私たちが信奉していた「常識」を次々と論破していく。エコで儲けようとする大企業や無責任な政治家・役人を遠慮会釈なく批判しているから、どこかの“ひも付き”でもなさそうだ。

最初は小気味のいい本だと思って読んでいたが、ページをめくるにつれ、暗澹たる気持ちになった。自分たちがこれまでやってきたことが、実は環境保護には無意味であるどころか、かえって環境破壊につながっているとしたら、なんという皮肉であり悲劇であろうか。それと同時に、そんなことは承知の上で、政府が「環境行政」を押し進めているとしたら、なんと罪深いことであろうか。

「そんなバカな」と思う人は、ぜひこの本を手に取っていただきたい。たかだか800円弱である。本の奥付を見ると、今年の5月末に発行されてから、わずか2ヵ月で9版を重ねている。それだけが唯一の救いである。
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2008年07月27日

最近読んだ本

■北京大学てなもんや留学記(文春文庫)
昨日の新聞に、中国でどぶ川の水を氷にして売っていた業者が摘発されたというニュースが載っていた。段ボール入りの肉まんや人の毛髪を原料にした醤油など、まことしやかに囁かれるこの手の話の真偽は不明だが、どぶ川の氷はどうやら本当らしい。
先般の毒入り餃子といい、いやはやとんでもない国だなぁ、中国は……というのが一般的な日本人の反応だろうが、私はむしろ、日本人の想像を絶する国・中国とそこで暮らす中国人に対して俄然興味が湧いてくるのを止めることができない。しかし、中国に関してはバイアスのかかった政治家やネット右翼の、口から泡を吹いているような発言が聞こえてくるだけで、本当のところはどうなんだろうと常々思っていた。


てなもんやそんなところに現われたのがこの本である。作者の谷崎光は、『中国てなもんや商社』でデビューした元OLの作家。中国から衣料品を輸入する商社に入社したごくごく普通の大阪のOLが、中国との商売で直面する驚愕の出来事を綴ったこのデビュー作は、ホントに面白かった。しかし、作家としての将来性を考えると、この1冊だけで消えていく運命にあるんだろうなぁと思っていた。
ところがどっこい、その著者が時を経て中年となり、なんと北京大学に留学した際の見聞記を書いた。それがこの『北京大学てなもんや留学記』である。デビュー作も面白かったが、この本はもっと面白い。私が知りたかった中国人の実像を余すところなく伝えている。政治家でもなく、付け焼き刃の思想も持っていず、正義を振りかざすジャーナリストでもないのがいい。そこにあるのは、中国人に対する冷静で客観的な視線だけだ。
それがどれだけ面白いかは読んでいただくしかないが、私がなるほどなぁと思ったことを一つ、二つ。

70代以上の中国人は、日本が過去に最も迷惑をかけた世代であるにもかかわらず、日本人に対しても比較的やさしくおっとりとしていて、いわゆる「大人」の風格がある。
40代から60代は、青少年時代に、大飢餓と文化大革命で人が何百万人、何千万人も死んだり、殺し合いをするのを目の当たりにしてきたためか、「なんでもありで、人格が壊れている」。現代中国を動かしているのはこの世代だから、賄賂政治や拝金主義が横行するのも当然、というのが著者の分析である。
20代以下の若者はというと、徹底した反日教育と、一人っ子政策によって甘やかされて育っているので、日本を見下しているし、恐ろしいほどの自己中心主義者。しかし一方で向上心に富み、勤勉だから、彼らが国を動かすようになったら、日本にとって中国は今より脅威となるだろう、と著者はいう。
このほか、中国の唖然とするような医療現場や、嘘を大々的に垂れ流して民心を操る中国共産党の恐ろしさなどが書かれていて、飽きることがない。

誤解のないように言っておくが、この本は最初から中国をけなそうと思って書かれた本ではない。個々の中国人にはとても親切でいい人がたくさんいるが、そのいい人が時にギョッとするような言動もする。そのギャップの激しさに戸惑いつつ、それでも中国人を理解しようとする著者の姿勢は、これぞ本当のジャーナリズムだと思う。読んで決して損のない本である。
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2008年04月07日

★の数

私がブログで知り合った方々は皆さん驚くほど豊かな個性と才能をお持ちだが、その中でも随一の知性派だと思われるatoさんに、面白いサイトを教えてもらった。
「たなぞう」というのがそれで、自分が読んだ本の履歴とともに、感想をネットで公開できる、読書好きにとっては願ってもない機能が売り物だ。「本の雑誌」が運営しているから、安心感もある。
さっそく利用することにした。人に感想を読んでもらうというよりは、最近読んだ本の覚書として利用するつもりである。とはいえ一方では、自分が感動した本は人にも勧めたくなるのが人情というもの。興味のある方は、サイドバーの「お気に入り」の一番下にリンクを張っておきます。私がつけた★の数を読むかどうかの参考にしていただきたい。

★★★★★ 時が経つのを忘れて読みふけった本。読後はただただ呆然。
★★★★  面白い!と無条件で叫んだ本。自信を持ってひとに勧めることができる。
★★★   読み終えるのに若干苦労したが、値段に見合ってはいると思った本。
★★    ★の数が2つ以下の本は人に勧める価値がないと思われるので、登録しないことにする。
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2007年12月27日

哀しい病

2000年を過ぎたころだろうか。私は「哀しい病」にかかってしまった。原因はよくわからない。確かなことは、年々この病気は重篤になるばかりで、何を見ても聞いても「哀しい、哀しい」と感じてしまうということだ。最近では、風呂に入って湯船に漬かりながら、「哀しいなぁ」とつぶやくのが日課になってしまった。

哀しいと感じる対象は、まず自分。しかし単純な自己憐憫にひたっているわけではない。毎日仕事で飛び回り、充実した日々を過ごしていると思っていても、もうひとりの冷静な自分が、私の心の中を覗き込んで、「なんて哀しい人間なんだ」とつぶやくのだ。
自分ばかりではなく、友人や知人を見ても、その存在自体を「哀しい」と感じてしまう。表面的には成功した人生を歩んでいる知人も、一皮むけば内心に大きな傷や悩みを抱えている。それが哀しい。親しい友人の愚痴や不満を聞く。それもまた哀しい。その友人の小さな子供が、いつも下を向いて歩いている。その姿を思い出しただけで哀しくてならない。
身近な人たちだけではない。道ゆく人々、政治家、官僚、つまりは日本人と日本という国自体に底知れぬ哀しみを感じてしまう。とにかく森羅万象、すべてが哀しくてならないのだ。それが今、私のかかっている「哀しい病」である。おそらく不治の病ではあるまいか。

そんなとき、一冊の小説に出会った。文庫の新刊として書店に並んでいるのを何気なく手に取って読み始めたら、止まらなくなった。ページを繰るたびに、「そうだ、そうなんだ。オレの感じている哀しみとは、つまりはそういうことなんだ」と感じ、何度も何度もため息をつきながら読み終えた。
そして今、「哀しみ」は依然として私の心の中に居座っているが、その姿が少しだけ変容し、心の襞から離れつつあるようにも感じている。

この年の瀬の忙しいときに何を寝ぼけたことを言っているんだと笑われそうだが、私が今年出会った本の中ではベスト1と断じていい。あらすじは書かないことにする。40代半ばから50歳をいくつか超えた人に、ぜひ読んでいただきたい。それより若い人にはあえて勧めない。読んでもその良さがよくわからないだろうから。

宮本輝の『草原の椅子』(新潮文庫)。それがこの小説の題名である。
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2007年08月16日

最近読んだ本

四十七人の刺客(池宮彰一郎著)
赤穂浪士の討入りと言えば、あきれるほどものを知らない今どきの若者を除けば、日本人にとってお馴染みの話だ。「忠臣蔵」として人形浄瑠璃をはじめ、歌舞伎、芝居、ドラマ、小説など、ありとあらゆるジャンルで取り上げられ、人気を博してきた。
今さらこの手の小説を読む気になんかなれるかと思っていたのだが、活字中毒の知人から「ぜひに」と勧められて手に取ったのがこの本だ。ところがこれが面白い。面白すぎて久しぶりに読書に没頭した。これぞ感傷を極力排した日本版ハードボイルド小説だ、という気がする。
なんといっても、松の廊下の刃傷から討入りまでの過程を、大石内蔵助と上杉家の代表者である色部又四郎との虚々実々の謀略合戦としてとらえた切り口が斬新である。刃傷に至る原因は、一般に強欲な吉良上野介に浅野家が十分な賄賂を渡さなかったためとされているが、これは実は大石内蔵助が流した根も葉もない嘘の情報だったという解釈には思わず膝を打った。また、死を覚悟した内蔵助の放蕩も有名な話だが、その心理心情をこれほどまでに深く切なく描き切った小説を私は寡聞にして知らない。そして何より、討入りの凄みある描写の数々。その切れ味鋭い文章は、作者に神が乗り移ったかと思われるほどの冴えである。
人間の強さ弱さ、賢さ愚かさ、そして生き方死に方を改めて考えさせられる小説として、ぜひお勧めしたい。
ちなみに、私は面白い小説を読んでいて深く感じ入った描写に出会うと、そのページに折り目を入れる癖があるが、それがこの本では優に十箇所を超えた。細切れの文章ではその神髄を伝えられないことはわかりきっているのだが、あえてそのいくつかを。蛇足ながら。
  ☆
人の勇強と怯弱はそれ自体が誇ることでもなければ恥じることでもない。それに徹し得ないのが恥なのだ。

人の生きる楽しみは、生きている間の煩悩にある。

人は困ったことに出くわすと、困ったと思うことで胸ふたがれて、思案も浮かばずにただ困った困ったと思うだけになる‥‥困らぬこと、人が仕出かした困った事は、人の知恵で解けぬ筈がないのだ。

いま、彼が手にするのは皎々たる名刀、心に抱くのは耿々(こうこう)たる一片の志である。

カッシーノ!(浅田次郎著)
ご存知・浅田次郎による世界のカジノめぐり。例によって彼一流のギャンブル指南書かと思いきや、そうではなかった。ここまでくると立派な文化論である。それは、下のような一文を読めば明らかだろう。ということで、またまた蛇足を。
  ☆
会社に対しては滅私奉公し、女房からは小遣を与えられ、休暇は盆と正月にとり、暖簾分けのかわりに退職金を貰って生涯を終える。すべての国民は幸福を実感できずに死んでゆく。
「つまり僕は、忙しすぎて物を考える暇もない日本人のために、ここに来たのだ」

こんなことをしている場合じゃなかろう、という自責の念にかられる。いやちがう、と私はふるい立った。「こんなことをしている場合か」という自問がそもそも日本人的なのである。幸福の所在をついに確認できず、働きづめで死んで行く悲しい日本人オヤジのために、私はここにこうしているのだ。

再び問う。
世界最高水準の労働時間を課せられた私たち日本人オヤジが、つかのま職場を離れ、家族の縛めから放たれて野に遊ぶことは、はたして罪悪であろうか。勤勉も勤労もむろんわれらが誇るべき美徳ではあるが、その対価として享受した幸福をまったく確認できずに過ごす人生はあまりにも虚しい。

「タイム・イズ・マネーも結構ですが、タイム・イズ・ライフということもお忘れなく」

「どうすれば日本人をカジノに呼ぶことができますか」
 と、支配人は手帳を片手に真顔で訊ねる。ゲルマンは真面目である。
「なにしろ忙しいので」と、再び苦しい言い訳をする。
「トゥー・ビズィーなら、なおさらゆっくりと遊ばなければならないでしょう」
「ええと‥‥つまり、遊ぶ暇もないくらいビズィー」
 こうなると、しゃべればしゃべるほど国家の体面を穢しているような気になる。遊ぶ間もないほど働く日本人は、尊敬されるどころか気の毒に思われているに違いない。
  ☆
やっとの思いで盆に1日だけ休みをとり、「煩悩を捨てる」などとぬかして大井競馬場くんだりに出かけている自分が、ほとほと嫌になった。
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2007年07月16日

最近読んだ本

センセイの鞄
なぜか中年から初老の男たちに絶大な人気があるらしい川上弘美の話題作ということで、興味半分、期待半分で手に取った。結論から言うと、あまり没入できなかった。
還暦をとっくに過ぎたと思われるセンセイと、かつての教え子である30代のOLであるツキコさんとの交流と交情の物語だが、こういう淡くてほのぼのとした男女の関係があってもいいなとは思うものの、なぜツキコさんがそれほど一途にセンセイに惹かれるのか、自分と同じ年頃の男に心を許せないのか、も一つ腑に落ちない。それは私が男だからだろうか。
同じような雰囲気の小説に、小川洋子の『博士の愛した数式』があるが、私にはこちらのほうが断然面白かった。小説としての発想とアイデアが素晴らしいし、家政婦の博士に寄せる信頼と愛情のほうが、ツキコさんより切実で純粋であるように思える。このへんは好みとしか言いようがないが‥‥。
女性ならこれら二つの小説をどんなふうに評価するのか、一度聞いてみたいものだ。

なぜ日本人は劣化したか
マンションの耐震偽装問題、相次ぐ企業の不祥事、子供への虐待、公務員のデタラメぶり‥‥。目を覆いたくなるような事象にこと欠かない最近の日本人だが、著者の精神科医・香山リカはこうした「劣化」の原因について、弱肉強食の新自由主義をあげている。それはそれで間違いないのだろうが、それだけかなぁという気がする。
私は基本的に、人間というのは自らも含めて愚かな存在だと思っているので、日本人が最近特に劣化したというよりは、物質的に豊かになって気が緩んだ結果、地が出たんじゃないかと思っている。
かつて日本に降り立ったマッカーサーは、「日本人の精神年齢は12歳」と言ったそうだが、最近の幼児化する社会を見ていると、その頃からちっとも変わっていないじゃないか、と思う。このところ参議院選挙の立候補者が同じようなことを叫びながら狂ったように街を走り回っているが、劣化もここに極まれりという気がする。どこの政党が勝つか知らないが、前回の「小泉人気」で自民党が大勝した時のように、今回も一時的なブームで似たり寄ったりのことが起きるのだろう。
そんなことを思いつつこの本を読み終えたが、憂鬱感が増すだけだった。だからお勧めはしない。

鴨川ホルモー
この小説は無条件に面白い。最初は設定があまりにも無茶じゃないか
かと眉唾で読み始めたが、いつの間にかメシを食うのも忘れて読みふけった。舞台は、ブログ仲間が多くお住まいの京都。お口直しにどうぞ。
posted by ギャンブラー at 23:47| Comment(2) | TrackBack(0) | 活字の楽しみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする