2019年02月17日

破天荒


昨日の土曜日、有楽町のマリオンで行われた「朝日杯将棋オープン戦」を観戦してきた。あの藤井聡太七段が登場するとあって、会場は大入り満員である。その中に若い女性がかなりいたのには驚いた。これまで将棋観戦といえば、オッサンやジイサンばっかりというのが通例だったが、さすがの藤井七段効果である。

この日は、準決勝と決勝を1日で行う方式で、決勝は藤井七段vs渡辺棋王という、誰もが夢見る組み合せとなった。両者とも今年度の勝率は8割を超え、最近も勝ちまくっている。果たして藤井の力はトップ棋士の渡辺に通じるのか、というのが戦前の注目点で、どちらかというと、渡辺乗りの声が多かったように思う。

ところが、ふたを開けてみれば藤井の完勝。しかもこの日は、準決勝・決勝とも後手番で勝ったのがすごい。というのも、プロの将棋では先手番の勝率が5割3分超で、これは専門的にみると圧倒的に先手有利といえる。ちなみに藤井は昨年もこの棋戦で優勝しているのだが、なんと今年も含めてすべて後手番だった。こういう破天荒なことを16歳の高一がやってのけるのだから、人気にならないわけがない。

ちょっと自慢しておくと、この日の私は、勝負どころの手の7〜8割を当てることができた。その中には、局後に渡辺が「気がつかなかった」とコメントした手も混じっている。「オレってかなり強いのかも」と一人で鼻の穴を膨らませたのだが、プロはその一手のあとの20手くらいを読んでいるわけだから、比較するのも愚かではある。

写真は、記念にもらった扇子。いざという時の対局用に、大切にとっておこうと思う。

扇子.jpg


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2016年10月13日

衝撃


驚くべきニュースが飛び込んできた。今年一番の驚きと言ってよい。
将棋の三浦九段が、タイトル戦出場を前に突如休場し、しかも所属する日本将棋連盟から年内の出場停止処分を受けたのだ。そのこと自体、大事件である。

三浦九段は10月15日から始まる竜王戦の挑戦者に決まっていた。竜王戦といえば棋界一の高額棋戦であり、「竜王」の称号は「名人」と並んでプロ棋士なら誰もが夢見るタイトルである。彼は過酷なトーナメントを勝ち上がってその挑戦者になったのに、直前になって出場を辞退したのである。その理由がまた、想像を絶するものだった。なんと、この夏以降、彼が対局中にしばしば離席し、スマホの将棋ソフトを見て指し手の参考にしていた疑いがあるというのだ。これはにわかに信じられないことである。

三浦九段といえば現役のA級棋士、つまりトップ棋士の一人であり、その彼が将棋ソフトを見てカンニングしていた疑いがあるというのだ。将棋に詳しくない人にはわからないだろうが、いくら人工知能の将棋ソフトがプロ棋士を凌駕したとはいえ、一般のソフトであればプロ棋士よりはるかに弱い。とはいえ、スマホを介してAI将棋ソフトに接続するか(実際にできるのかどうかは知らない)、第三者に電話かメールで棋譜を伝えてソフトを操作してもらえば、できないことではない。また、詰将棋だけなら、少し強いソフトであればプロ棋士でも歯が立たない。対局中、詰むか詰まないかのギリギリの場面でコンピュータに答えを求めれば、最善手はすぐ得られるのだ。ただし、それはプロ棋士であることを自ら放棄する自殺行為だ。

複数の対局相手から、彼がそういう不正を働いているのではないかと疑いをかけられたのが今回の事件の発端のようである。将棋連盟にしても、そういう訴えがあれば調査しないわけにはいかない。そこで三浦九段を呼んで聴取したところ、疑いは否定したものの、「疑われたままで竜王戦を戦うことはできないので、出場を辞退する」との申出があった。そこで連盟は翌日までに休場届を出すよう命じたものの、期限内に提出されなかったため、年内の出場停止処分を決めた、というのがこれまでの経緯である。ちなみに、連盟から彼が不正を働いていたかどうかについての言及は今のところない。

真実がどこにあるのか、私にはわからない。生真面目な求道者のイメージがあるあの三浦九段がまさかそんなことをするはずがないと思う反面、人格者の谷川会長をはじめとする将棋連盟の幹部棋士だってバカではない。ある程度の証拠を握っていたからこそ聴取したのではないか、との思いもある。また、ある棋士からは「彼は真っ黒け」とのツイートもアップされたようだ。しかし、知能の高い一流棋士がそんな簡単にばれるような疑わしい行動をするだろうか……というような相反する思いが次から次へと浮かんできて、心の収拾がつかない。

もう一つ気になるのは、2013年に三浦九段はAI将棋ソフトと対戦し、惨敗している事実である。おそらく死ぬほどの衝撃を受け、プロ棋士としてのプライドはズタズタになり、自らの存在価値は何かと考えたであろう。そのあとで彼の心境にどのような変化があったのか、誰もわからない。

私はプロの将棋指しを尊敬している。全員が人格者ではないだろうし、苛烈な勝負の世界に特有の性格破綻者も少なからずいるだろう。しかし、彼らの将棋の能力は、我々凡人から見れば神の領域にあるといっても過言ではないし、何よりも将棋を大切にし、将棋を愛する姿勢に、無垢の尊さを感じるのである。
三浦九段がシロであろうとクロであろうと、今回の事件によって、数少ない人間世界の“聖域”が穢されたと思うのは、あまりにも短絡的で見当外れな考えなのだろうか。

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2014年04月13日

惜春

将棋のプロ棋士とコンピューターソフトによる5対5の団体戦「第3回電王戦」第5局が12日、東京都渋谷区の将棋会館で行われ、先手の屋敷伸之九段(42)が130手で「ponanza(ポナンザ)」に敗れた。団体戦は棋士側の1勝4敗という完敗で幕を閉じた。(スポーツ報知)

ある程度覚悟していたこととはいえ、こうも残酷な現実を目の前に突きつけられると、もはや人間は将棋AI(人工知能)に勝てないことが確実になったようだ。私はこのブログで、1勝3敗1分の成績で終わった昨年のこの大会の感想を、「たとえ羽生がコンピュータに負けても、将棋というゲームの魅力は何ら減じることがないと考えている。というより、『負けるから面白いのだ』と思っている。」と書いた。今もその思いに変わりはないが、どこかで、「プロ棋士が本気を出せば人間側が勝ち越すのではないか」と思っていた。それがなんの根拠もない希望的観測であったことを、昨日思い知らされた。

チェス、将棋に続いて、いずれは囲碁もコンピュータに歯が立たなくなる日が来ることは間違いない。人間がつくった道具にすぎない半導体の塊に、人間の最高頭脳が負ける−−この現実を、我々はどのように受け入れるべきであろうか。大げさにいえば、人類存在の意義が問われているのだと思う。
「人はどう生きれば人らしくあれるのか」。そんなことを考えさせられる惜春の朝である。

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2013年04月21日

だから面白い

将棋を愛し趣味とする者の一人として、やはりこの話題を避けて通ることはできないだろう。昨日行われた、プロ棋士と将棋ソフトの棋戦「電王戦」第5局において、三浦八段が将棋ソフト「GPS将棋」に負け、将棋ソフト側が3勝1敗1引き分けと勝ち越した。これにより、コンピュータソフトのほうが人間より強いことが証明され、「将棋界に衝撃が走った」と報じられた。

将棋に縁のない人には今ひとつピンとこないかもしれないが、プロ棋士というのは、小学校低学年の頃から「天才」「神童」と騒がれるような子供たちばかりが集められたプロ棋士養成機関・奨励会において、問答無用の弱肉強食の戦いを勝ち抜いた末、ようやくプロとして認められたエリート中のエリートである。従って、彼らは我々アマチュアから見れば神の領域に住む選民であり、その中でも三浦八段はA級と呼ばれるトップ棋士の一人である。そんな彼らが、たった一人を除いて、半導体の塊にすぎない将棋ソフトの前に討ち死にしたのだから、確かにこれは歴史的大事件である。今、「たった一人」と書いたが、第4局で引き分けた塚田九段は、必敗の将棋を、ソフトがほとんど想定していなかった「入玉」作戦に持ち込んで引き分けただけで、将棋の内容は完敗であり、きちんと勝ったのは第1局の阿部四段だけ、という意味である。

思えば、IBMが開発したスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」が、1997年にチェスの世界チャンピオンだったカスパロフを2勝1敗3引き分けで打ち負かした時、この日が来るのは歴史的必然だった。さらに遡れば、1968年に公開された映画『2001年宇宙の旅』において、人工知能(AI)の「HAL」が自らの生存を脅かす人間を排除しようとしたように、いずれAIが人間を知力で打ち負かすであろうことは十分予想されていた。

今回の将棋ソフトも、演算能力では人間がつけ入る隙は皆無である。なにせ三浦八段を負かしたGPS将棋は、1秒間に2億7000万の局面を読むことができるのである。このハード面の進化に加えて、過去のプロ棋士の棋譜も参考にしながら、局面ごとに最善手を選択するという能力(ソフト)も飛躍的に向上させてきた。それでも、将棋ソフトがプロ棋士を負かすのは何年も、場合によっては何十年も先と考えられていた。しかし「その時」は予想以上に早く訪れたのである。ちなみに、現時点で囲碁ソフトはまだプロ棋士に歯が立たないレベルだが、それでもアマチュア6段の実力があると言われている。あと5年か10年もすれば、将棋と同じように囲碁もコンピュータの軍門に下ることは間違いないだろう。

将棋に話を戻せば、次にコンピュータと戦うのは、羽生3冠、渡辺竜王、森内名人のいずれかだろう。もし戦いを避ければ、「コンピュータに負けるのが恐くて逃げた」と言われ、将棋という日本伝統の室内ゲームの存在意義に疑問符がつくのは必定である。

私自身は、たとえ羽生がコンピュータに負けても、将棋というゲームの魅力は何ら減じることがないと考えている。というより、「負けるから面白いのだ」と思っている。これはレトリックでも負け惜しみでもなく、事実その通りだと信じている。前述の塚田九段は、不本意な入玉作戦によってなんとか引き分けに持ち込んだ感想を問われて、思わず男泣きしたという。三浦八段も、投了を告げる時は目がまっ赤だったと伝えられている。これなんだ、これだから将棋は、いや、勝負というのは面白いのだ。それに対してコンピュータは、哀れなことに、歴史的勝負を前にして何のプレッシャーも感じず、勝敗に関して何の感慨も持つことがない。そのことだけで十分ではないか。それだからこそ人間に生まれた甲斐があるのではないか。私はそんなふうに思っているのだが、いかがなものだろうか。




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2012年01月29日

妄想

日本将棋連盟会長にして元名人・永世棋聖の米長邦雄が、将棋ソフト「ボンクラーズ」に負けたというニュースは、想像以上に人々に衝撃を与えたようだ。私もその一人で、いくら引退して何年も経っているとはいえ、まさか元名人が持ち時間3時間の将棋でパソコン用ソフトに負けるとは思わなかった。しかし、その予兆はあった、と今になって思う。昨年だったか一昨年だったか、現役最強の渡辺竜王が「ボンクラーズ」と対戦し、勝ったもののその内容は辛勝だった。また、昨年には女流の清水王将が別の将棋ソフトに完敗している。

ゲームの世界におけるコンピュータvs人間の戦いといえばチェスが有名で、1997年に世界チャンピオンを破った「Deep Blue」は、スーパーコンピュータに多数のチェス専用プロセッサを搭載した化物のようなシステムだった。それが今では、パソコン用ソフトでも世界チャンピオンを破るようになっている。
しかし、チェスと違って、取った相手の駒を使えるなど、変化が何倍もある将棋の場合は、コンピュータが将棋名人に勝つには何十年も必要とされていた。それが、元名人ともあろうものがパソコン用ソフトに負けたのだから、大騒ぎになるのは当然だろう。

将棋ソフトなんて子供がゲームで遊ぶもの、と思っている人のために説明しておくと、「ボンクラーズ」は1秒間に1800万通りも読むことができる驚異のソフトである。18でも、180でも、1800でもなく、1800万である。
一方で、将棋は多く読めれば強いというものでもない。かつて米長は、「将棋のプロは何手先まで読めるのですか」という質問に対して、「本当に強い人は1手」と答えたという。つまり、どんなに多く読んでも、その中から最善手を選ばなければ意味がない、だから、最善の1手だけを常に選択する者こそが最強だ、というのである。
従って、「ボンクラーズ」が強いのは、無限ともいうべき処理能力に加えて、その中から最善手を選択する解析能力が優れているからである。しかも、その能力は日々進化しているというのだから、将棋界最強の羽生や渡辺がパソコン用ソフトに膝を屈する日もさほど遠くはないかもしれない。

だからといって、私は将棋の魅力が薄れるとはまったく思っていない。なぜなら、将棋というのは、逡巡と決断という心理的葛藤を強いる極めて人間臭いゲームだからである。実力が近い者同士の戦いほどその傾向は強く、最後に決断を誤ったほう(悪手を指したほう)が負ける。そのスリルは何物にも代え難い。いくら強くても、機械はただ計算するだけである。まことに気の毒だ。
しかし、今後、ホログラム技術と将棋ソフトが合体し、私より少しだけ強いレベルに設定した仮想人格が、目の前に人の姿となって現れて将棋を指してくれたらどうだろう。その女性(と決めております)が、難しい局面で切なげに溜息をつき、苦悶する表情を見せたら……そんな情景を妄想すると、思わず頬が緩むのを禁じ得ないのである。



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2011年02月12日

畏れについて

ここ何日か、考え続けていることがある。同じ伝統文化なのに、なぜ一方に八百長が蔓延し、一方は真剣勝負が貫徹される組織となったのか、ということだ。前者は日本相撲協会、後者は日本将棋連盟である。この両者、実は驚くほど似通っている。

・相撲は肉体を使った格闘技、将棋は頭脳を使った格闘技である。将棋を「格闘技」というのはおかしいと思われる人がいるかもしれないが、間違いである。ゲームとはいえ、対局者は相手を殲滅しようと戦略を立て、必死で裏の裏を読む。相手の駒を取り、玉を追いつめるときの興奮、逆に追いつめられたときの焦燥と恐怖、これを格闘技と言わずしてなんと言おう。

・相撲も将棋も、起源ははるか太古にさかのぼる。そして江戸時代になって時の権力者(幕府)によって庇護され、隆盛・安定期を迎える。その庇護の下、「家元」が権威を持つようになる。相撲の場合は吉田司家が相撲の様式を整えて横綱に免許を与えるようになり、将棋は将棋三家(大橋家、大橋分家、伊藤家)による世襲制が確立されていく。これによって両者とも日本独自の文化として洗練され、社会に定着していく。

・明治維新の混乱期で両者とも打撃を受けるが、その試練をくぐり抜け、紆余曲折を経ながら法人組織(相撲は財団法人、将棋は社団法人)として再出発する。これを機に、江戸時代から続く家元制度とは決別し、競技者の実力による昇降級制度が導入される。

・戦後の娯楽が少ない時代は、両者とも庶民に圧倒的な支持を受け、最盛期を迎える。相撲では栃若や柏鵬時代、将棋では木村名人と升田、升田と大山の確執が紙面を大いに賑わせた。

・両者とも競技人口の減少およびファンの高齢化が進み、存続の危機にさらされつつある。

ざっと上げただけでもこのように類似点は多いのに、何が原因で勝負に対する姿勢に違いが出たのだろうか。私が考えるに、それは「畏れ(おそれ)」という気持ちの有無だと思う。
将棋のプロの場合、将棋は到底人知の及ばぬ宇宙のような存在であり、それを司る神様の域に少しでも近づきたいという、ストイックで求道者のような謙虚さがある。かつて羽生善治は、「将棋の神様が100わかっているとしたら、自分は1か2わかっているに過ぎない」と語ったことがある。あの羽生ですら、そうなのだ。従って棋士は将棋の神様に嫌われることを最も恐れる。「筋が悪い」「棋理に反する」「負けてもこう指したい」などという言葉はその表われの一つであろう。まして八百長などしようものなら、神様に見放されて永久に勝てなくなる、と考える。元名人で将棋連盟会長の米長邦雄は、「自分は勝っても負けても影響はないが、相手にとっては絶対に勝たなくてはならない対局では、死にものぐるいで指せ」と言った。名言であると思う。
翻って相撲はどうか。私はほとんど相撲に興味がないので深く考えたことはないが、すべての力士が相撲の神様を敬い畏れ、自分の力に対する謙虚な気持ちを持っているのだろうか。もしないなら、あくまで金儲けの興行に徹して、国技の座は即刻、将棋に譲り渡してもらいたいと思うのだが……。
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2008年12月18日

天意について

将棋の竜王戦は、3連敗後の4連勝という信じられないような大逆転で渡辺竜王がタイトルを死守し、5連覇の条件を満たして「永世竜王」の称号を獲得した。負けた羽生も、今日の将棋に勝っていれば通算7期となり、やはり永世竜王になれたのだが、まさかの敗退となった。
羽生が3連勝したときは、これで羽生の永世竜王は確定的と誰もが思った。残り4戦のうち、たった1つ勝てばいいのである。羽生ほどの天才がなぜそれをできなかったのか、私にはわからない。わからないが、ターニングポイントとなった1局はわかる。

羽生3連勝で迎えた第4局。この将棋も終始羽生が優勢だった。2日制の将棋なのに、1日目の午後には終局かも、と囁かれたほど差がついていた。さすがに渡辺も勝負手を連発して盛り返したが、2日目に入っても、いや、終局間際まで羽生優勢もしくは勝勢とされていた。渡辺も、「内心諦めていた」とあとで述懐している。ところが、なぜだかわからないが、気がついたら渡辺が勝っていた。勝った渡辺はもちろん、羽生もなぜこの将棋を負けたのかよくわからない風であった。将棋の神様が勝負の流れを無理矢理ねじ曲げたような、そんな不思議な将棋だった。
このとき私は、将棋の神様は渡辺に勝たせたいのではないかと、チラッと思った。そこに何か「天意」のようなものを感じたのである。しかし、それでも羽生が圧倒的に有利であることは間違いない。私も、羽生がタイトルを奪取するに違いないと思っていた。ところが、その後羽生は2つ続けて負け、最終局の今日、まれに見る激戦の末、勝利を収めたのは羽生ではなく渡辺であった。

「将棋の神様に愛された男」。羽生を称してこう言った人がいた。確かに、実績を見ればその通りである。しかしここにきて、将棋の神様は、羽生からひと世代若い渡辺に気を移したように思える。羽生が弱いから、ではむろんない。渡辺が羽生より断然強い、というわけでもない。その二人の天才が死力を尽くして戦ったとき、勝負の行方がどう転ぶかは、才能や勝負への執着という人間界のレベルを超えて、宇宙の運行のようなものによって決められるのではないか。それを人は天意とか天命というのではないか。

渡辺がまだ10歳の少年だった頃、16世名人・中原誠は彼の天才ぶりを人づてに聞いて、「ほう」と眼を輝かせ「その子に羽生君はやられるんだ」と言ったそうである。出来過ぎのような話だが、大山康晴という不世出の大名人から名人位を奪取した中原の言葉だと解説されれば、なるほどと腑に落ちる。彼もまた、天意によって名人位につき、天意によって谷川浩司にその座を譲り渡したのである。

将棋というたぐいまれな頭脳競技を通じ、天意天命について思いを致す。日本人に生まれてよかったと、改めて思う。
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2008年07月15日

心に届く声

先ほどまで、NHK総合テレビで「将棋名人戦 森内俊之vs羽生善治」を放映していた。その道の第一人者にスポットを当てるこのシリーズはよく見るのだが、今回は特に感銘を受ける内容であった。そのいちいちを文章にするにはとても時間が足らないので、以下に雑感を綴ることにする。

・30歳を過ぎてから、羽生は難解な局面の中で勝ち筋を発見したとき、駒を持てないほど手が震えるようになったという。テレビはその瞬間をよくとらえていた。話には聞いていたが、あれほど震えるとは…。それを無様と見る人は人間のことがまだよくわかっていない。何十年に一人といわれる大天才・羽生の凄さを改めて実感。

・森内は失意の日々を乗り越え、コツコツと努力を積み重ねて頂点に立った努力派。若くして頂点を極めた羽生は、視線や仕草に落ち着きがなく、どこか飄々としている天才肌。修羅場をくぐり抜けてきた二人は、30代に入ってますますいい顔つきになった。人は何十年をかけて何をやってきたか、それをどのようにやってきたか、何をやり、何をやらなかったかで、顔つきが決まるものらしい。

・「高い技術の専門性があることはもちろんだが、それと同時に、今の自分に満足しないで、自分を高め続けようとする人」。プロフェッショナルとは? と聞かれて森内が答えた言葉。また彼は、「厳しい局面、難しい局面だからこそ、臆せず一歩前に踏み込むべき」と言っている。格好良すぎるけれども、これまで辛酸をなめ尽くしてきた森内の心が吐いた声と聞けば、厳粛にならざるを得ない。

・人間は歳をとるにつれ、ひらめきや記憶力が低下してしまう。「しかし、メンタル面だけは唯一、生きている限りずっと向上していく」と羽生は語る。一つのことに執着して、そこから心が離れない。ちょっとしたことで平常心をなくし、なかなか元に戻せない。ときどき自分でも持て余すほどの嫉妬心にかられる。そんな自分のメンタル面の弱さを痛感する今日この頃。この50年あまり、オレはいったい何をやってきたんだか。
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2007年07月02日

違和感

ほとんどの人は興味がないだろうが、先週の29日、将棋の十八世名人(永世名人)が誕生した。
将棋における名人とは、将棋家元の第一人者が江戸幕府から許されて名乗った称号のことで、十三世までは世襲だった。その後、実力で名人位を争う現在の形ができ、名人位を通算5期以上獲得した棋士は、引退後に永世名人を名乗ることができるようになった。
最初の実力制による名人は十四世名人の木村義雄で、その後、十五世名人は大山康晴、十六世名人は中原誠、十七世名人は谷川浩司と続いてきた。いずれもそれぞれの時代を象徴する名棋士であって、おそらくほとんどの人は、彼らが永世名人を名乗ることに異議を唱えないだろう。

さて、我々将棋ファンは、次の十八世名人は当然、羽生善治がなるものだと思い込んでいた。事実、彼はすでに名人位を通算四度獲得しており、あと一回名人位を獲って十八世名人の称号を得るのは時間の問題だったのだ。
ところが、羽生の引き立て役だった森内俊之もいつの間にか名人位を通算四度獲得しており、今回の防衛戦が五回目の名人位を賭けた闘いだったのだ。結果は4勝3敗で名人位を防衛し、通算五回以上という規定を満たしたことにより、彼が十八世名人を襲名した。

彼が強いことは誰でも知っている。実力で名人位を防衛したのだから、むろん文句はない。人格も地味だが申し分ない。
しかし、「将棋の神様に愛された男」と言われる羽生ではなく森内が十八世名人となると‥‥。脈々と続いてきた歴史ある名人位の流れが、ここで本流から逸れたのではないか、ひょっとしてそれは将棋界衰退の前兆ではないのか‥‥。そんな不吉な違和感を持つのは私だけだろうか。
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2007年06月27日

将棋の稽古

目の前で、新人女子のマユちゃんが顔を真っ赤にして盤上を睨んでいる。昼休み、将棋の稽古をつけてやっているのだ。あちらはもちろんすべての駒を使うが、私はというと、王様と歩が9枚だけ。飛車も角も、金も銀も桂も香もとり払ったハンデ戦である。
ウンウン唸りながら、駒に手を延ばしては引っ込めている彼女に業を煮やして、手に持っていた扇子の取っ手の先端を彼女の額に押しつけ、グイグイと押してやった。

「これ小娘、どうした。もう降参か」

まるで町人の娘をいたぶる悪代官の図、である。ますます顔を真っ赤にした彼女が抗議の声を上げる。

「やめてください! ゆっくり考えられないじゃないですか」
「そりゃ失礼。オレならこっちの王様を包囲するため、真ん中の歩を突くけどなぁ」
「えっ。そうかぁ、そうですよね」

そう言って歩を突くマユちゃん。その空いた空間にさっき取ったばかりの桂馬を打ちつけた。

「桂馬のふんどし〜。もう諦めな」
「えっ、えっ、どうして? あ、金の両取りだ」
「今ごろ気がついたか。だめじゃのう、小娘は」

今度は扇子で頭を叩いてやった。マユちゃんの顔はますます赤くなり、おまけにホッペも膨らんできた。

「ずるいー。でも、桂馬のふんどしってなんですか?」
「桂馬で両取りをかけること。その中でも金の両取りが代表だな」
「???」
「ふんどしの中には金が2つあるから」

しばらく考えていたマユちゃんが、ケタケタ笑う。

「やっぱり最後は下ネタですかぁ。でも、おもしろ〜い」

私はこんなマユちゃんをかなり気に入っている。
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2007年06月13日

コレクター

コレクターというのは、なぜだかわからないが男が圧倒的に多いように思う。かく言う私も、小さい頃は使用済み切手やビー玉、河原で拾った石などを集めて、家のどこかに大切に保管していたように記憶している。知り合いの小学生の男の子も、つい最近までミニカーや虫キングのカード集めに夢中になっていたから、この原則は今も生きているようだ。
「私だってブランドもののバッグならたくさん持っているわよ」という女性がいるかもしれないが、お金とか実用性じゃないんですね。人から見れば何の価値もないもの、知らないでいたらゴミと間違えて捨てられるようなものを集めているのは男だけ。女が集めるのはだいたい高価なものか小じゃれたもので、お金さえあれば誰でもいつでもコレクターになれる。
どちらが物欲が強いのかわからないが、少なくとも「モノ」に対するこだわりは男のほうが強いように思う。女の場合、そのモノがカネに裏づけられて初めて意味をなす‥‥というのは偏見だろうか。

将棋駒1将棋駒2





能書きが長くなったが、私のコレクションは写真のような将棋駒である。本格的なコレクターから見ればほとんど価値のないものだが、1年か2年に一度の割合で異なる書体の駒を買い求めている。すでに5セット持っているが、欲しい書体の駒がまだまだたくさんある。将棋を指すだけなら1セットあれば十分なのに、なぜたくさん集めたくなるのか、実は自分でもよくわからない。
ただ、山吹色をした上質の柘植の木、漆で縁取られた古書体、それらすべてをひっくるめた職人の技を目の前にすると、「もっと集めたい!」という欲求がわき上がってくるのだ。
今一番欲しいのはこれだが、値段が‥‥。当分は無理としても、いつかはきっと、と思っている。

「ずいぶん女をバカにしてくれたけど、あなたの言うブランド好きの女とどこが違うのよ!」という非難の声があちこちから聞こえてきそうだが、この気持ちばかりは抑えようがない。そうです。私は物欲の塊です。
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2007年06月07日

嫁に行った晩

例によって会社の昼休みに宿敵と賭け将棋をしていたら、将棋を勉強中の新人女子(仮にマユちゃんとしておこう)がちょこんと横に座って、興味津々の態で観戦している。
例によって序盤そうそう私が疑問手を指し、部分的には受けがない局面になってしまった。やむを得ずそこを放置して、「嫁に行った晩だ」とつぶやきながら別の手を指したら、マユちゃんの耳がピクンと動いた。

「ギャンブラーさん、嫁に行った晩ってなんですか?」
「相手のなすがまま。好きにしてチョーダイ、ってこと」

さすがに少しは赤面するかと思ったら、「なるほど! うまいなぁ」と感心してケラケラ笑っている。今どきの若いもんは万事この調子である。オヤジギャグを言ったのは自分であることも忘れて、

「あのねぇマユちゃん、そういう時は、いったい何のことですかっていう顔をするもんだよ」と説教したのだが、「そんなカマトトみたいなことを言ったら、かえってキモイじゃないですか」と逆襲されてしまった。
まあ、こんな調子で彼女に将棋を教えているが、勉強するのはこちらかもしれないなと思い始めている。
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2007年06月02日

再スタート

日々は流れる水のごとく過ぎ去り、人の心も空に浮かぶ雲のごとく変化してやまない。
私の心も同様で、ふと思い立ってブログ名を変えることにした。特に深い理由があるわけではない。これまでのスタイルでは書きにくかった日々の瑣事を、これからはもっと自由気ままに綴っていこうと思っている。「日記」と称しているが、もとよりインターネットで公開している以上、本当の日記にはなり得ない。まあ、日々の記録というところだろうか。大半は詰まらぬ雑文になるだろうから、退屈しのぎに読みとばしていただきたい。



私が勤めている会社に新人が入社したことは以前書いたことがあるが、そのうちの一人の女子が、なんと将棋を習いたいと言い出した。23歳になるその子は、いかにも当世風の女の子であって、将棋などという辛気くさいものとは対極に位置する存在だと思い込んでいたから、びっくりすると同時に、とてもうれしかった。あまりうれしかったので思わずハグしたら、「ギャンブラーさん、セクハラです」と怒られてしまった。

習い事を上達する近道は良い道具を持つことだと確信している私は、さっそく彼女に自分のコレクションの中からウン万円もする将棋の駒をプレゼントした。喜ぶこと喜ぶこと。その日から、将棋仲間と二人で、昼休みに手取り足取り特訓している。
彼女の将棋熱がいつまで続くかわからないが、ある程度強くなるまで辛抱できればこっちのもの。あとは放っておいても将棋の魅力に取り憑かれるだろう。その日が来るまで、将棋を1局指すごとにお小遣いを与えてしまいそうな気がして、ちょっとこわい。
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2006年08月03日

苦い思い

今、将棋界が大変なことになっている。名人戦という最も歴史と格式のある棋戦の契約を巡って、日本で唯一のプロ棋士の団体である日本将棋連盟と毎日新聞および朝日新聞との間で、深刻な確執が生じているのだ。と言っても、将棋界にうとい人は何のことやらわからないだろうから、会社に置き換えて説明しておく。

業界の老舗と言われるある会社(将棋連盟)の経営陣が、経営難を理由に、長い間懇意にしてもらっていた大のお得意さんであるA社(毎日新聞)に対して、事前の相談や交渉もなくある日突然契約の打ち切りを通告し、より高い値段で商品(将棋の棋譜)を買ってくれる、A社のライバルであるB社(朝日新聞)と契約すると発表した。
こうしたやり口に対して、A社はもちろん、会社の社員(棋士)や、その会社に好意を持っていた一般人(将棋ファン)からも非難が集中した。そこで社長(米長会長)と副社長(中原副会長)をはじめとする経営陣は、全社員による投票(多数決)で決着をつけることにし、8月1日に投票が行われた。その結果、事前の多数派工作が奏功し、有力社員のほとんどが反対していたにもかかわらず、B社との契約が採択された。
‥‥とまあ、こういうことである。

一将棋ファンとしての私の感想は、「何ともまずい初手(最初の一手)を指したもんだなぁ。だいたいこういう将棋は勝てないな」というもの。
ただ、初手は悪手だったかもしれないが、経営難を脱するため、衰退気味の毎日新聞から、会社の規模が大きくて自分たちをより高い値段で買ってくれる朝日新聞に乗り換えようとした判断自体は、必ずしも間違っていないと思う。
ファンの中には、「結局はカネか」と非難する人も多いようだが、このままでは経営が立ち行かなくなるという危機的状況の中で、棋士たちの生活を守るためにより多くの収入を得ようと知恵を絞るのはリーダーとして当然のことであり、たとえそれが失敗したとしても、それこそ自己責任というものだろう。ただ残念なことに、そのやり方が何とも稚拙だった。「朝日のカネより毎日との信義を守れ」という声が沸き上がっても仕方がなかろう。

会長である米長邦雄と言えば、若い頃は「さわやか流」と呼ばれ、将棋の強さと明るく機転のきく性格とが相まって、最もファンが多い棋士であった。また、前会長で現在は副会長の中原誠は、「自然流」とも「若き太陽」とも称され、長い間無敵を誇った棋界の第一人者であった。
しかし、女性スキャンダルや今回のまずい対応によって、今や二人の評判は地に落ち、少なからぬ棋士や将棋ファンから囂々たる非難を浴びている。契約問題のこじれよりも、そのことが哀しく淋しい。

人間歳を重ねると、見たくもないことを見てしまう時がある。それまで尊敬してやまなかった人に幻滅を感じることもある。そうやって無垢で純真な心は傷つき、それ以上傷が増えることを恐れて、容易に他人に心を許さなくなったり、物事を斜に構えて見るようになる。
何より将棋が好きで、豊かな個性と異能の持ち主であるプロ棋士を神様のように思っていた、無邪気で若い私はもう二度と戻らない。

今回の騒動に接して、今さらではあるが、そんな苦い思いを噛みしめている。
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2005年11月12日

名前が泣く

いささか旧聞に属するが、プロ入り編入試験に挑戦していたアマチュア将棋棋士の瀬川晶司氏がプロ相手に3勝目をあげ、念願のプロ入りを決めた。
このイベント、瀬川氏にとっても、彼の嘆願書を受け入れて試験を行った日本将棋連盟にとってもリスクのない“ぬるい勝負”と揶揄する向きもあったが、私はそうは思わない。

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2005年08月14日

見逃せない戦い

今、将棋界で大変なことが起こっている。瀬川晶司というアマチュア棋士がプロ棋士の団体である日本将棋連盟に嘆願書を提出、プロの編入試験受験を願い出て受理されたのである。これによって、瀬川アマは6人のプロ棋士と対戦し、3勝すればプロ棋士として認められることになった。
現在その試験の真っ最中で、先月行われた第1局では瀬川アマが完敗、今日14日は神吉6段と対戦することになっている。

プロ棋士になるためには、日本将棋連盟の養成機関である奨励会に入会し、そこを勝ち抜くしか道はない。全国から天才少年が集まる奨励会は、年齢制限という制度によってほとんどが脱落する過酷な世界であり、プロになれるのは年にわずか4人しかいない。
30代のサラリーマンである瀬川アマはとっくに年齢制限を過ぎており、今さら奨励会に入会することはできない。にもかかわらずプロ編入試験を受けられたのは、対プロ17勝7敗という実績が認められたからである。

プロとアマのレベル差が最も大きいのは相撲と将棋だ、と言われたのは過去の話で、今では最もレベル差が接近しているのがこの二つかもしれない。相撲の世界では以前から大学の相撲部出身力士が普通に活躍しているし、将棋の世界でも、プロアマ交流戦でアマが勝つのは珍しいことではなくなった。
それにしても、瀬川アマのこの戦績は驚異的である。さすがにプロ側も無視できなくなったのだろう。

実はこの瀬川アマ、元奨励会員で、そのトップリーグである3段リーグに在籍しながら、年齢制限で退会を余儀なくされたという経歴の持ち主である。従ってこの編入試験は、奨励会を勝ち抜いてプロになった“勝ち組”と、脱落した“負け組”との戦いということになる。
また、大手企業のサラリーマンが、安定した収入を捨て、食うか食われるかの世界であるプロ棋士を目指すという“賭け”に打って出た戦いでもある。
迎え撃つプロ側も多士済々で、第1局は現役の奨励会員、第2局は関西のエンターテナー棋士、そして第3局は瀬川アマに苦杯を喫したトップ棋士の久保8段‥‥。彼らにとっても負ければ何を言われても仕方のない立場にあり、プレッシャーは瀬川アマと同等かそれ以上と思われる。

久々に見る真剣勝負、これは見逃せない。

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追記:たった今(17時)、瀬川アマが熱戦を制した。これで1勝1敗。戦いはますます面白くなった。
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2005年06月12日

ショッキングな出来事

今日は将棋の話です。興味のない人は読み飛ばして下さい。

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posted by ギャンブラー at 16:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 唯一の趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月19日

少数派の特権

世間ではほとんど注目する人もいないのだろうが、今、将棋の名人戦七番勝負が進行中である。森内名人vs羽生挑戦者という組み合わせは、現状で考えうる最高のカードではないかと思う。
当初は羽生有利の声がプロの間でも圧倒的に多かったが、実際には現段階で森内の2勝1敗。これで勝負の行方はわからなくなった。

将棋にしろ囲碁にしろ、プロ棋士の想像を絶する能力について、世間一般の人はほとんど理解できない、というか関心がないようだ。私にはそれが不満でならない。
将棋によく似たゲームにチェスがあるが、そのグランドマスター(名人のようなもの)ともなると、国の英雄である。東西冷戦の頃、ロシア人とアメリカ人の対戦は文字通り国家間の戦いであり、一手一手に異常なほどの注目が集まったものだ。
そこまでいかなくても、スポーツで優れた功績を残した人が国民栄誉賞を受けるのであれば、将棋で偉大な足跡を残した人、例えば大山康晴や升田幸三などは生きているうちに人間国宝にすべきだったと思う。

プロ棋士の人並み外れた能力を表わすのに、1分間に30手も40手も、場合によっては100手先まで読めるといった喩えが使われるが、「それは並のプロ。本当に強い人は1手しか読まない」と言ったのは元名人の米長邦雄である。つまり、余計な手を読まず、一瞬で最善手がわかる人こそ本当に強いというわけ。それぐらいのレベルになると、目隠しをして1手10秒間という制約の中で将棋を指すことも可能である。
将棋を知らない人にそんなことを言っても、その凄さが実感できないだろう。もっとわかりやすいたとえがある。

私の将棋のレベルは、甘く見積もってアマ初段程度である。その私の前に、1本の曲がりくねった細い道がある。目的地ははるか先、しかも途中には大きな穴が開いていたり、左右に急峻な崖があり、足を踏み外せば真っ逆さまという難所もある。その道を、月もない暗闇の中、小さな懐中電灯で足もとを照らしながら、おぼつかない足取りで進むのが私である。
一方、プロ棋士は陽光が燦々と照る中、同じ道を歩む。彼の目は、前方に待ち受けている穴どころか、足もとを這う1匹の蟻の姿まで見分けることができる。アマとプロの差は、それぐらい大きい。私がプロ棋士を神様のようにあがめる気持ちも、少しはわかっていただけるのではなかろうか。

昔は日本人の多く、少なくとも男のほとんどは将棋を楽しんでいたが、今やすっかり廃れてしまった。しかし、誰も見向きもしなくなった将棋だからこそ、へそ曲がりで、少数派であることを敢えて好む私のような人間には魅力がある。
ひとの行く裏に道あり‥‥ではないが、将棋に魅せられた少数派ならではの特権を、これからも失いたくないと思う。
posted by ギャンブラー at 20:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 唯一の趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月04日

必見の番組

さっきまでテレビに釘づけだった。Mステーションでもなければ、細木先生の芸能人罵倒番組でもありません。NHKBS2の「将棋界の一番長い日・A級順位戦最終局」を見ていたのです(地味だなぁ)。

将棋に興味のない人には一文の価値もない番組、将棋ファンには1年でもっとも手に汗握る番組、それがこの番組である。
A級順位戦とはプロ将棋のトップリーグ戦のことで、10人が在籍する。名実共にトップ棋士である。ここで総当たりのリーグ戦を行い、優勝すると時の名人への挑戦権を得る。逆に成績下位者2名がトップリーグから陥落する。名誉だけでなく、収入も大幅減となる。それがこの最終局で決まるのである。

私が注目するのは、誰が名人挑戦者になるかではなく、誰が陥落するか。10人には前年の成績に従って1位から10位まで順位がつけられており、同じ勝敗だと順位が下の者が陥落する。
例えば、Aと戦っているBが勝ち、Cと戦っているDが負けると同じ負け数になり順位が下のDが陥落。しかしEと戦っているFも負けるとB、D、Fが同じ負け数で並び、順位が一番下のFが陥落、というように、自分の勝敗だけでなく、他人の勝敗が自分の運命を決める。そこが面白いのだ。
今年はすでに1人の陥落が決まっているが、その人と対戦しているのは、負ければ陥落の可能性がある人である。こういう戦いが一番面白い。将棋に関心のない人には、私が何を面白がっているのかすらわからないだろうが‥‥。

この番組は朝から深夜まで、断続的に放映される。この後は日をまたいだ午前0時半から。その頃には大勢が判明しているはずだ。
まあ、皆さんにはどうでもいいことだろう。今夜は一人で楽しみます。

なお、明日はブログの背景が“週末バージョン”に変わります。目まぐるしさにびっくりしないで下さい。
posted by ギャンブラー at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 唯一の趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月31日

雪辱を期す

以前、会社で昼休みに将棋をしていると書いた。ルールは1局1000円で月末精算。しかも6月には通算で勝ち越しているほうにボーナス1万円、12月には同じく2万円。
で、今年の成績はというと、全くのいい所なし。取られ放題。都合6〜7万円は負けた。
原因は、相手が指し盛りに比べてこっちは棋力が下降一方という力関係に加えて、将棋に集中できない環境が続いたこと。しかし、それは言い訳というもので、完敗を認めざるを得ない。

自分の弱点はわかっている。とにかく終盤が弱いのだ。30秒の秒読みに追われると(秒読みができるチェスクロックを使っている)、簡単な3手詰みも見逃してしまう始末で、我ながら嫌になる。
要は勝負どころで決められないという、ギャンブラーとしては致命的な欠点を持っているということだ。『アッと驚く3手詰め』という本が売れているそうだから、それでも買って来年は雪辱を期そう。

今年はこれが書き納め。正月は休んで、1月4日の金杯予想からスタートしたい。
ブロガーの皆さん、お付き合いいただいてありがとうございました。皆さんのお陰で、ブログを始めて本当に良かったです。どうぞ良いお年を!
posted by ギャンブラー at 00:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 唯一の趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする