2015年11月08日

酒なくして

酒を一切飲まなくなって5年以上になる。酒席で乾杯のときにコップに半分ほど注いだビールを口にすることはあるが、それ以外はアルコールに縁のない生活を続けている。ありがたいのは、酒を飲めない旨を伝えると誰も無理強いしないことだ。昔ならこうはいかなかっただろう。
とはいえ酒席で何も飲まないわけにはいかないから、ノンアルコールビールを頼んでいたが、あれはまずい。大手ビールメーカーがどんなに宣伝しようと、あんなものは「ビール」の名に値しない。そこで最近はウーロン茶でごまかしている。

酒は飲まなくなったが、酒が嫌いになったわけではない。でも、飲まずにいられないというほどのことはない。杜甫のような「酒なくして何の人生ぞ」というほどの酒好きではないということだろう。
そのせいか、最近はバーからめっきり足が遠のいている。30歳代の頃は連日通い詰めたものだが、ここ数ヵ月、足を向けたことがない。その代替反応かどうか、テレビでバーや飲食店を紹介する番組をよく見ている。とはいえ、カネにあかせた芸能人御用達の隠れ家紹介や、ただひたすら大量に食べまくる下品な番組に興味はない。私がよく見ているのは「孤独のグルメ」と「BER レモン・ハート」。前者は人気シリーズだから今さら言うまでもないだろう。後者は、通好みのマンガをドラマ化したもので、この10月から始まった。レモンハートはラム酒の銘柄で、ダークラムは私も好きな酒の一つだった。
配役が渋くて、バーのマスターは中村梅雀。この名優がいい味を出している。セットも本物のバーを使っているかのように雰囲気があり、いかにもバー好きの美術さんが凝りに凝ったと思わせる造作である。言葉で説明するより、第1話が無料で見られるから実物を目にしていただくほうが早いだろう。もっとも、ここで描かれている若きバーテンダーのような態度は、実際にはあり得ない。それが唯一の不満だが、それ以外はバーの魅力がよく描かれていて、ケチをつけるところがない。

最近は「家飲み」とかで、バーで名酒を楽しむという豊穣の時間の過ごし方を知らない人が増えているそうだ。もったいないことである。


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2012年07月07日

近況

■嫌な常連客?
昨夜、久しぶりに銀座のバーに顔を出した。以前は月に2〜3回、もっと前は週に2〜3回足を運んでいたものだが、酒が飲めない体になってからは、せいぜい2〜3ヵ月に一度と足が遠のいている。これがホステスのいる店なら、「お見限りねぇ〜」と嫌みの一つも投げかけられるところである。もちろんこのバーでそんなことは言われない。
ボソボソと無沙汰の挨拶をしてスツールに座り、「適当にお願いします」と頼むと、さして間を置かずにノンアルコールのカクテルがすっと差し出された。このへんが常連のうれしさである。私は常連が大きな顔を利かせる酒場が大嫌いであって、常連たるもの、店の隅でひっそりと飲み、バーテンダーの仕事の合間を見計らってそっとオーダーを出すのが礼儀だと思っている。そういう常連が多い酒場ほど、雰囲気のやさしい名店といえる。だから、自分が特別扱いされることは好まないが、考えてみれば、酒を飲めないのにバーに行くのは甚だ失礼なことである。それを承知で出かけるのは、無意識のうちに自分を特別扱いしてほしいと思っているからかもしれない。
最初に出てきたのは、トマトジュースのカクテル。あまりにうまいのでレシピを聞くと、デルモントの普通の缶入りトマトジュースにライムを絞り入れ、アクセントに一味唐辛子を加えてシェイクしただけだという。名付けて「バージン・ブラッディマリー」。単なるトマトジュースとは思えない爽やかなコクと辛みが絶妙にバランスしていて、こういうものはバーでしか味わえない。
一つ置いた隣のスツールでは、アブサンのソーダ割りを飲んでいる客がいる。あぁ、さぞうまいだろうなぁと思いつつ、トマトジュースのカクテルを飲む。この、ちょっと被虐的な感覚が堪らない。この日はカクテルを3杯飲んで勘定を頼んだら、2500円だった。銀座のバーでこの値段はどう考えても安い。やはり自分は嫌みな常連客なのだろうか。

蛇足を一つ。バーテンダーによると、これまで国内での販売が禁止されていたキニーネ入りのトニックウォーターが解禁になったらしい。「天然のキニーネの風味と、きめ細かい泡が特徴の逸品。既存のトニックウォーターが飲めなくなります」とのこと。一瓶180円とさして高くないから、見かけたらぜひどうぞ。

■梅干を作る
この季節、梅酒を漬けるのが恒例となっていたが、自分で飲めないものを作っても甲斐がない。どうしようかなぁと思っていたら、atoさんのブログで恒例の梅干づくりがアップされていた。これしかない! と思ってスーパーに走り、黄色みを帯びた梅を2キロ買い込んできた。
偏見かもしれないが、梅干づくりは面倒くさくて、うるさ方も多い。しかし、調べてみると、さして難しいものではないことがわかった。梅を部屋に2〜3日放置して追熟し、梅の重さの20%前後の粗塩と一緒に容器に漬け、落としぶたをして重石を置く。水が十分あがってきたら、赤紫蘇を買ってきて塩でよく揉んでアクを出し、梅と一緒に漬け込む。あとは梅雨明けを待ち、容器から出して3日ほど天日で干す。これだけである。今、進行中の生ハムづくりに比べれば、安易とさえ言える。
梅干づくりをして初めてわかったことだが、熟した梅の香りがこれほどかぐわしく清々しいものだとは、不覚にも知らなかった。容器に顔を突っ込むと、その香りに包まれる。それだけで幸せな気分になるのだから、我ながら単純な人間である。

梅干



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2011年03月17日

ニュース

毎日毎日、目を閉じ、耳を塞ぎたくなるようなニュースばかり。普段は、「プラス思考こそが人生を有意義にする秘訣です」などというたわ言を流し続けているテレビや新聞、雑誌がこぞってマイナス思考に凝り固まり、人々の危機感をあおっている。「バッカじゃなかろうか」と罵りたくなっている自分に気づいて、こりゃいかん、知らぬうち溜まりに溜まったストレスを発散しようと、会社の同僚を誘って銀座のバーに繰り出した。間引き運転などというシケた電車を乗り継いでいくのが面倒になり、迷わずタクシーに乗り込む。夕刻の都心とは思えないほどガラガラの大通りを車でぶっ飛ばしていくのは、なかなか気持ちがいい。

聞いてはいたことだが、銀座は閑古鳥が鳴いていた。とりわけ今日は、突発的な停電が起こるかもしれないと脅されたせいで、みんな早々と帰宅の途につき、バーにでも寄って一杯やっていこうなどと考えるお気楽者は我々くらいらしい。もひとつ、バーに出かけたのは、まったく客が入らず青息吐息のはずの店への陣中見舞いという意味もあった。案の定、バーはガラガラで、マスターのほっとしたような笑顔に思わず笑ってしまった。
スツールに座ってまずジントニックを一杯……といきたいところだが、あいにくこちらは禁酒中の身。うまそうに酒精を飲み干す相棒を横目に、ノンアルコールのカクテルをちびちび飲みながら、四方山話に花が咲いた。これが本来の日常である。これが本当の大人の時間の過ごし方である。

バーではうれしい「ニュース」も聞いた。長い付き合いにもかかわらず名前も人となりも知らないさる妙齢の女性が、ついにというか、ようやくというか、店を訪れてくれたらしい。「さっと一杯飲んで帰られました」とのこと。カッコいい。口の堅いマスターから、ようやくその女性の下の名を聞き出すことができた。なるほど、あの人はそういう名前だったのか。ニタニタしていると、横で飲んでいる相棒から「バッカじゃなかろうか」と軽蔑された。

皆さん、こんなときこそ外に出て、大いに飲みましょう。
posted by ギャンブラー at 23:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月11日

文化の喪失

お酒を飲まなくなって(飲めなくなって)3ヵ月以上経つ。この間、会社の飲み会や知人との食事など、いわゆる酒席に出ること数回。いずれもノンアルコールビールか、なければウーロン茶で乗り切った。特に不都合は感じなかったから、私は根っからの酒好きではないのだろう。主治医から、今後ずっと酒を断たなければならないと宣告された時は非常にショックだったが、これならなんとかなりそうだ。

さらに私を勇気づけたのは、久しぶりに訪れた行きつけのバーでの応対である。私が入院していたこと、退院後も禁酒を余儀なくされていることは知人を通してすでに伝わっていたから、私が顔を出す可能性があまりないことは当然わかっていたはずだ。しかし、ドアを開けて入っていくと、バーテンダーは特段驚いた表情を見せることもなく、いつも通りに「いらっしゃいませ」と出迎えてくれた。それがまずうれしかった。さらにうれしかったのは、私がいずれ飲みにくることを見越して、ノンアルコールのレシピをいくつか用意してくれていたことである。こうなればもう、お任せでオーダーするしかない。
まず出てきたのが、レモンスカッシュ。あの、喫茶店で飲む甘ったるいレスカとは似ても似つかぬ辛口の飲み物である。レモンの酸味が程よく利いて、気持ちがシャンとする。次に、これまで見たこともない、どろりとした深紅の液体が小さなリキュールグラスに入れられて目の前に置かれた。「?」と目で聞くと、「まず飲んでみて下さい」という。一見、年季の入った甘口のリキュールのようだが、口に含むと、甘さはあまりなく、コクのある酸味が感じられた。果汁であることはわかるのだが、それが何の果物かは見当もつかない。聞けば、ある種のベリーとチェリーの濃縮果汁で、料理用として使われるのだという。そのバーでは料理を出さないから、なぜそんなものを常備しているのか、これまた見当もつかないが、銀座のバーの懐の深さを再認識させられた。

かくして私の“ノンアルコール・ライフ”は極めて順調に推移しているが、どこか暮らしの芯が抜けてしまったような心持ちがするのもまた事実である。例えば私はこんなことを夢想する。
ある初秋の夕暮れ、久しく会っていない妙齢の女性と街でばったり出会ったとする。聞けば特に予定はないという。当然「食事でも…」となろう。そして食事のあとは当然「じゃ、バーにでも」となる。これは必然である。従来なら何の問題もない成り行きだが、しかし今の私は、これからバーで積もる話をしようという状況を前にして、「実は酒を飲めなくてね…」と歯切れ悪く言い訳しなければならない。これはいけません。無粋というものです。
かつて「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」と発言した芸能人がいたが、私は「酒は文化であり人との出会いであり、そこから豊穣な人生が開けることもある」と言いたい。それが叶わぬ我が人生!
やはり酒は飲めるに越したことはない。
posted by ギャンブラー at 11:36| Comment(12) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月29日

年の瀬のプレゼント

若い人は苦手である。道端や電車の床に座り込んでうすら笑いをしている男。電車で平気で化粧をしたりものを食べる女。そういう若者は一部の限られた人種だと思っていたが、程度の差こそあれ誰でも同じだとわかって、一層彼らを見る目は冷えていった。

我が社に昨年入社した新人たちも似たようなものだ。予想に反して今どき真っ当な若者だと思っていたら、酒席で酔っ払って奇声を発したり、彼氏との私生活を恥じらいもなく披露したり‥‥。その場ではそういうものだと思って笑って接しているが、強い違和感は否めない。
仕事は一応きちんとする。こちらの言うことも素直に聞く。たまに不満の色を見せても、言って聞かせれば納得する。つまり、仕事に関して彼らに大きな不満はない。
そうである以上、プライベートで何をしようと考えようと、こちらが口を挟む筋合いはない。しかし、それは承知の上で、「いったいどういうつもりなんだ」と注意せずにいられないような非常識な言動に接することが多々ある。それがもどかしく、腹立たしい。

仕事納めの今日、仕事納めなら飲み納めの日でもあるはずだと言い訳をして、銀座の行きつけのバーに出かけた。指定席となっているカウンターの左端から二番目のスツールに座ると、マスターがニヤニヤしながら「これをどうぞ」と折り紙を差し出した。亀甲に折り畳んだ紙に、私の名前が書いてある。苦労して開けて中身を見ると、我が社の新人ふたりからのメッセージが書かれていた。そこには、私に対する感謝の言葉とともに、「ギャンブラーさんのお好きなサイドカーをプレゼントします」と書かれていた。
聞けば2日ほど前にバーを訪れ、マスターに書き付けと一緒にカクテル1杯分のお金を託して帰ったのだという。バーに来て酒も飲まずに帰ったのかと、マスターに詫びの言葉を述べていたら、不意に涙がこぼれて恥ずかしいことになってしまった。

五十男の私から見ると、男も女も、若い奴らは頼りなく、だらしない。仕事では未熟さばかりが目につく。でも、そんな奴らが身近にいて、案外自分は幸せかもしれないなと思いつつ、サイドカーを飲み干した。今年最後の、そして今年一番のおいしいカクテルであった。
posted by ギャンブラー at 00:18| Comment(10) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月15日

台風の夜に

大学時代に好きだった女性と飲みに行った。お互い五十路を超え、すっかりおじさん、おばさんになってしまったが、会った瞬間に20歳の若者同士になるから不思議なものだ。今どき私の姓を「くん」づけで読んでくれる女性など、彼女を除いてほかにはいない。
台風の接近でさすがの丸ビルも空いているだろうと思っていたのだが、結構混んでいる。それでも目当ての店に入ることができた。

「好きなものを頼んでいいよ」

このひと言が言いたかったのだ。貧乏学生だったあの頃、コーヒー代すら惜しく、人におごるなんてもってのほかだったし、相手もそんなことは期待していなかった。でも今は、懐には多少の余裕がある。好きなものを好きなだけ食べることができる。苦労した甲斐があったなぁ。
その店を出て、タクシーで銀座の行きつけのバーへ。ここでも何でもござれの飲み放題。久しぶりにはしゃいだ飲み方ができた。男にとって女というのは、側にいて話をするだけで癒されるのだから、やはり偉大な存在だ。

「あなた、最近たるんでない?」

学生時代と同じく、結局最後は説教を食らって別れることになったが、それで満足感を覚えるあたり、やはり何年経っても女には勝てないなと、頬を緩ませながら思い知らされた一日だった。
posted by ギャンブラー at 02:04| Comment(12) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月22日

バーの効用

人間というのは、自分が一番辛い思いをしているのだと思う生き物らしい。今日も会社でそんな輩につかまり、延々2時間も話を聞くハメになった。何といっても私は管理職であり、そうした申し出に真摯に向き合うことを強要される。何の因果か知らないが、うんざりすることではある。

そんなわけで、バーのカウンターに座ってドライシェリーを注文したのは、9時を回っていた。ため息をつきつつ、その日最初の一杯を喉にすべらすと、憂鬱な色に染まっていた心が、若干ほぐれて落ち着きを取り戻すことがわかる。薄暗い照明とコルトレーンのテナーサックス、目の前に並ぶ酒瓶のきらめきが心地よい。バーという空間を知っていてよかったと思う瞬間だ。

カウンターに座る客層を見ていると、実に多様である。マスコミ業界人らしいフリの客、中年サラリーマンと若いOLのカップル、希少なモルトウイスキーが目当てのコアな常連‥‥。
私の隣に座ったのは、明らかに還暦を過ぎたと思われる女性と私と同年輩の女性の2人連れだった。ジントニックを頼む間もなく、生ハムやらドライトマトやらチーズやらをどんどんオーダーする。この店は銀座の本格バーの中では格安の部類に属するのだが、さすがにそんなに頼むと結構なお値段になる。大丈夫かな、というこちらの心配を見越したように、年配の女性が陽気な声で私に話しかけた。

「わたしね、毎日仕事をしているからお金を使う暇がないの。だから週に1回、ここに来て思いっきり散財するのよ」

こういう元気な年配の女性は見ていて心地よい。やはり人間、いくつになっても仕事を持つことが大切なのだと思い知らされる。ただ、この手の女性と昵懇になるとなかなか放免してもらえないことがわかっているので、頃合いを見計らってお勘定にしてもらった。本当は、「乾燥イチジクもおいしいですよね」などと話しかけたかったのだが‥‥。

バーを出て地下鉄の駅に向かう私の心は、幾分軽くなっている。今夜は熟睡できそうだ。
posted by ギャンブラー at 23:32| Comment(2) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

独り酒の理由

ここ10年ほど、外で酒を飲む時はほとんど一人である。以前は会社の同僚・後輩たちや飲み友達と一緒のことが多く、独り酒はほとんどなかったと言ってよい。それがなぜ一人で飲むようになったかというと、みんな歳をとってあまり外で飲まなくなったり、からだを壊して飲めなくなったからである。
ただ、それが理由のすべてかというと、そうとも言い切れない。どうやら、一緒に酒を飲みたくなるような相手がいないのだ。歳を重ねるにつれ、こちらの好みが厳しくなったというか、偏狭になったことも多分に影響しているのかもしれないが、一緒に飲んでいて楽しい人物がだんだん少なくなってきた。実に淋しいことである。

たとえば、私は酒を飲みながら仕事の話をするのが嫌いである。仕事の話でなくとも、眉間にしわを寄せて小難しい議論を始めるような人もごめん被りたい。飲むと大声になる人というのも困りものだ。帰宅してから自分の喉まで嗄れていることに気づいた時など、ああ虚しい時間だったなと思ってしまう。何かというとすぐ河岸を替えたくなる人と一緒に飲んでいると、どうにも落ち着かない。まして「次はカラオケに行こうよ」などと言われると、カラオケ嫌いの私は、いかにしてこの場から逃げ出すかを考え始めて、酒を飲むどころではなくなってしまう。店員にやたらクレームをつけたがる人というのも、こちらの気分まで刺々しくなってきて嫌なものだ。物知りと酒を飲むのは楽しいが、自分の得意な話に夢中になって止まらなくなる人物というのは鬱陶しい。下ネタは別にかまわないが、外国に買春旅行に行っていかに遊んだか、なんてことを延々と話すようなヤツは願い下げだ。酒をあまり飲まず、かといって出てきた肴にもなかなか箸が伸びないような女性も苦手だ。なぜ彼女はここにいるのだろう、などとよけいなことを考えてしまう。

酒は、おだやかな気分で飲みたいものだ。おいしい料理や、最近読んだ本や、近況報告など肩の凝らない話題を肴にコロコロと笑いながら、あるいは、共通の思い出という豊穣な世界にひたりながら、静かにしんみりと‥‥。
とくに難しいことではないと思うのだが、そんな相手がどんどん少なくなっていく。若い頃に比べて生活は豊かになったが、何か大切なところでどんどん貧しくなっているのではないかと、ひそかに恐れている。
posted by ギャンブラー at 01:26| Comment(8) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月28日

いつかどこかのバーで

東京では今日、気温が36度を超えたそうだ。もはや亜熱帯である。こんな日は早い時間に仕事を切り上げて、バーで一杯飲みながら昼の余熱が冷めるのを待ちたいものだ。
初夏の夕暮れ時。行き交う人のシルエットが徐々に薄墨色に変わっていく街をゆっくりと歩きながらバーに向かう。
ドアを開けると、ひんやりとした空気が身を包む。ピカピカに磨き上げられたカウンター。その向こうには、パリッと糊のきいたシャツを身にまとった蝶ネクタイ姿のバーテンダー。控えめな歓迎の言葉。ほかに客はいない。
カウンターに腰を下ろして、何をオーダーするか少し考え込む振りをする。実は最初の一杯はすでに決めてあるのだ。

「ギムレットを‥‥」

レイモンド・チャンドラーの小説が好きな人なら、このオーダーに思わず笑みを浮かべてくれるかもしれない。

都会に暮らしてよかったと思うことの一つは、思い立ったときバーに行けることである。居酒屋でもなく、スナックでもなく、クラブでもない。しかめ面とため息に満ちた日常から、穏やかな笑顔と満足な吐息に囲まれた非日常の世界へ。バーという存在を知らない人、知っていても足を向けたことのない人は気の毒だと思う。
無理に勧めようとは思わないが、興味がある人のガイド役を務めるのも、たまにはいいだろう。

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posted by ギャンブラー at 21:59| Comment(20) | TrackBack(0) | 暗くて心地よい場所 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする